安部さんは、満州生まれ。慶應義塾大を卒業後、日商(後の日商岩井、現在は双日)に入社した。1980年に渡米し、ニューヨークに駐在。当時の米国には、日本の鉄鋼製品が粗悪であるという根強い偏見がある中、めげずにサンプルを送り続けるなどの尽力により特殊鋼製品の急速な対
送別会では、安部さんを顕彰し、ともに汗を流した同士らが贈る言葉を述べ、リーダーシップを発揮した職務を絶讃した。プライベートでは、ゴルフとテニスの腕前、カラオケでは低音を効かせたのど自慢、ショットバーで語り合った思い出話などが披露され盛り上がった。元会頭の半田俊夫さんは、安部さんを「人生と大学、商社マン、そして南加日商の『先輩』」と敬愛する。安部さんと同じく激務の会頭を3年務めた間は「すばらしいアドバイスを多くもらい、たいへんお世話になった」と恩に着る。「名残惜しいけど、日本で元気に暮らし、また遊びに帰ってきてほしい」と、コミュニティー全体の声を代弁した。
安部さんは、南加日商に約20年間在籍した。さまざまな活動について「仲間意識を持って、みんなで1つのことを成し遂げる達成感がたまらない。やりがいがあった」と振り返った。日系社会に向けては「日系人と日本人がまとまって、力を合わせて頑張ってほしい」とエールを送った。近頃は、老後を夫婦ともに日本で暮らす例が増えているが、安部さんは決断するまで「悩みに悩んだ」という。駐在生活の最初の1年3カ月が家族と離ればなれで「とても長く感じて、辛かった」と吐露し、「家族の絆を考えると、日本に住むのがベストと思った」と話した。【永田潤、写真も】