同士の贈る言葉に聴き入る安部さん(中央左)
同士の贈る言葉に聴き入る安部さん(中央左)
 元南加日系商工会議所会頭で、日本帰国を決めた安部新二さんが12日、妻の光子さんとともに約33年間暮らした米国を後にした。南加日商会員ら有志約30人が、安部さんを囲んだ送別会を10日夜、同事務所で開き日系社会の発展に尽力した功労をたたえ、別れを惜しんだ。
 安部さんは、満州生まれ。慶應義塾大を卒業後、日商(後の日商岩井、現在は双日)に入社した。1980年に渡米し、ニューヨークに駐在。当時の米国には、日本の鉄鋼製品が粗悪であるという根強い偏見がある中、めげずにサンプルを送り続けるなどの尽力により特殊鋼製品の急速な対
青木義男会頭(右)からプレゼントを贈られる安部さん
青木義男会頭(右)からプレゼントを贈られる安部さん
米輸出量の拡大に寄与した。その後、同社を退社して独立し貿易業を営むかたわらで、南加日商会頭やオレンジ郡日系協会会長を務めるなど、日系社会の発展にも貢献。日本政府からは、鉄鋼分野と社会活動が認められ、2009年の叙勲で旭日双光章を授与された。
 送別会では、安部さんを顕彰し、ともに汗を流した同士らが贈る言葉を述べ、リーダーシップを発揮した職務を絶讃した。プライベートでは、ゴルフとテニスの腕前、カラオケでは低音を効かせたのど自慢、ショットバーで語り合った思い出話などが披露され盛り上がった。元会頭の半田俊夫さんは、安部さんを「人生と大学、商社マン、そして南加日商の『先輩』」と敬愛する。安部さんと同じく激務の会頭を3年務めた間は「すばらしいアドバイスを多くもらい、たいへんお世話になった」と恩に着る。「名残惜しいけど、日本で元気に暮らし、また遊びに帰ってきてほしい」と、コミュニティー全体の声を代弁した。
 安部さんは、南加日商に約20年間在籍した。さまざまな活動について「仲間意識を持って、みんなで1つのことを成し遂げる達成感がたまらない。やりがいがあった」と振り返った。日系社会に向けては「日系人と日本人がまとまって、力を合わせて頑張ってほしい」とエールを送った。近頃は、老後を夫婦ともに日本で暮らす例が増えているが、安部さんは決断するまで「悩みに悩んだ」という。駐在生活の最初の1年3カ月が家族と離ればなれで「とても長く感じて、辛かった」と吐露し、「家族の絆を考えると、日本に住むのがベストと思った」と話した。【永田潤、写真も】
20年間ともに活動した仲間と最後の写真に納まる安部さん(前列右から6人目)
20年間ともに活動した仲間と最後の写真に納まる安部さん(前列右から6人目)

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