先ごろ、昨春日銀総裁を退任した白川方明さんのための、高校同期生による慰労会が、東京で催された。
白川さんが特任教授を務める青山学院大学のアイビーホールに参集したのは、関東在住の福岡県立小倉高校20期生。同窓会の常連だけでなく、卒業以来初めてという顔も交じり、会場のそこここで昔話に花が咲いた。
白川さんと私は共に高校一年生の春、「甲子園」に出場する母校応援のため、小倉から神戸までの関西汽船に乗りこんだ。母校チームが最初の試合に勝利し次の試合までの中一日、船中で親しくなった同級生数人で、京都・嵐山を散策。渡月橋を渡り苔寺・念仏寺・落柿舎と巡ったことは今も懐かしく、会うとたちまち16歳の思い出話となった。
当時から穏やかな性格の優等生であった白川さんが大学卒業後に日銀に入行したことは知っていたが、退職後は京都の大学で教べんを執っていると聞いていたので、総裁就任のニュースには驚いたものだ。
出席者とひとしきり歓談の後にあいさつに立った白川さんは、「日銀総裁になるつもりなどなく日銀に入行しましたが」と笑わせた後、総裁を務めた間にはリーマンショック、東日本大震災と予期せぬことが次々と起き、激動の5年間だったと振り返った。また、その間の首相が5人、大臣が10人との解説には、参会者のほうがあらためて驚いた。
退任後のこれからは、「次世代」「グローバル」の二つを大切にしたいと表明。大学などで若い世代の指導にあたると共に、今も頻繁に海外に出かけて世界の金融関係者と意見を交わしていることを紹介した。
清廉潔白な学者肌で、在任中は決して贈り物を受けとらなかったと聞く彼が、退任後は公園のアイスクリーム売りさんからのアイスクリームはご馳走になることにしたと語ったときには、総裁在任中の緊張を垣間見る思いがした。
昨年バトンは黒田新総裁に渡され、金融政策もアベノミクスに沿ったものへと変わった。インフレ目標に反対などの白川さんの方針については、いずれ歴史が評価することになるだろう。今はただ、「大役お疲れさまでした」の言葉を贈りたい。【楠瀬明子】