誰にでも「座右の書」があるだろう。常に身近に置いて戒めや励ましにする。
 もう20年間も読み続けてボロボロになった「上に立つ者の人間学」という本がある。赤ペンで真っ赤になったページがほつれそうだ。著者の船井幸雄氏が1月19日亡くなった。一人の師を失って寂しい。
 初めて手にしたこのビジネス書は「目からうろこがおちる」世界だった。素直、プラス思考、勉強好きなら成功すると、単純明快である。社会がどう変化しようと、本当の事を自分の感覚でつかみ、調べる。地に足をつけ、生きるのに必要なことに全力投球をする。その大切さが説かれてあった。
 たくさんの本を読み、処分したが、素晴らしい本は何年も本棚の上に残る。邱永漢「死ぬまで現役」は時間を何倍にも楽しむ知恵をさずけてくれた。宇野千代「生きて行く私」は、女性が生活力を持って思い通りに生きるお手本だ。遠藤周作「自分をどう愛するか」は田舎者にも処世術を教えてくれる。これらの著者は今はいない。著書だけが残っている。
 安藤忠雄「建築家」、稲盛和夫「パッション」、大前研一「やりたいことは全部やれ」、師と仰いでいる本だ。
 最近は新しい本も加わった。見城徹「絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ」、堀江貴文「ゼロ、なにもない自分に小さなイチを足していく」
 自分より若い著者が師の列に加わり始めた。活気が出ていい。
 一方、職場では限りなくペーパーレスの時代に突入している。今まで一仕事終ったら、5センチの書類のファイルが残ったが、今は顔の見えない書類収集サイトにEメールするだけである。仕事をした跡が手元に残らなくなった。ガレージの棚にぎっしり保管してある過去の書類はもういらないというのだろうか。
 電子書籍も浸透し始めたが、せめて紙の本だけは残ってほしい。
 赤茶けたページ、古い書き込み、なにかをこぼした跡。手垢のついた本との対話から「座右の書」が育つ。座右の書は時間と空間の制約を超えて、永遠の師となり、われわれの行く手を照らしてくれる。【萩野千鶴子】

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