葬儀に出かけた西本願寺で、知人が「あの銅像は空海さんよね」と。「親鸞さんに似ているように思うけど、しんらんさんはしんごんしゅうでしょう? しんらんさんのしんとしんごんしゅうのしんは同じだから」と疑いのない言い方。「親鸞の親と真言宗の真は違う。銅像は親鸞上人で西本願寺は浄土真宗」と言う当方が、自信がなくなるくらい、彼女の言い方には確信があった。
学校で、何年に誰が開いたと習っただけで、その後関心もなく過ごしていると、こういう勘違い? が生じても仕方がないのかもしれない。アメリカ人、外国人に、リトル東京にはお寺がたくさんあります、とおしえると「Cool!」とか「Interesting!」と目を輝かせるのはどうしてだろう? 小東京の中心にある高野山には、訪問者をよく見かける。ただ写真を撮るだけでなく、中に入って説明を求める人たちもいると聞く。お寺は、自分にとっては俗世から離れたゆとりの場であるが、この人たちにはどうなのだろうか。
何事も、行ってみよう、してみようから始まって、興味が持てたら入ろうでいいと思う。まず踏み出しの一歩が大事だろう。たまたま出合った本の中で知った高僧、出会わせてもらった絵など、そこから学びたくなって広がっていった世界が、私にとっての出会いの全てだった。
出身県でもないのに出かけた、鹿児島県人会新年会で、渡辺正清氏が上梓した「評伝 長沢鼎(かなえ)」を紹介していた。鼎が大和コロニーにでかけていく件があって、鷲頭文三(尺魔)との関係が出てくる。そこで、本からジャンプして、鷲頭の三女とほんのちょっとだが、ふれあったことを思い出した。あのときに、もう少し当時の歴史を知っていたら、生の証言を得られる気の利いたことを質問できたかもしれない、などと悔やむ。私の中では、三女ひな子が文三のイメージに重なる。そんなこんなで、読むペースが遅れていく。確固たる経営信条を持ったワイン王、長沢鼎、独自の土着永住論を唱えた鷲頭文三は忘れてはならない先達だと思っている。説明は字数の関係で割愛。笑えない勘違いを招かないために、話や説明には注意を払わなければ。【大石克子】