「これは何ですか」。楕円形の木の小板2枚をひもでとじた楽器を前に、エレジーノ・かつ子さんは不思議そうな顔で質問する。「これはね、カスタネットという打楽器で、ひもを親指にかけて、手のひらと指で挟みながら叩いて音を出すものなんですよ」。日本人フランメンコダンサー、安藤みちよさんが優しく説明すると、かつ子さんは器用に指を動かしながら奇麗な音色を奏でる。
「タタン、タタン、タタタタン」―。リビングルームに乾いた高音が響きわたると、かつ子さんの眉間に寄っていたしわが伸び、満面の笑みが浮かびあがる。「タタン、タタン、タタタタン」―。「そうそう、上手上手。できるじゃない」。安藤さんの言葉に、「できてる?」と白い歯を見せ照れ笑いする。
できる部分を伸ばす
かつ子さんが認知症と診断されたのは7年前。熱湯でお米を研いだり、突然「日本に行ってきます」と出かける準備を始めたり、近所で迷子になり自宅に戻ってこられなくなるなど、症状は進行した。
消えゆく記憶の中で、不安や焦り、いらだちを感じるかつ子さんに、少しでも楽しい時間を過ごしてもらえるようにと、フラメンコダンサーの安藤さんにセッションを依頼。1年になる。
一般向けのフラメンコ教室以外にも、高齢者向けにアレンジしたフラメンコやカスタネットの指導をしている安藤さん。「本人が楽しんでいること」を重要視しながら、クライアントの「できる部分」「残された能力」を広げるよう心がけている。
「カスタネットは叩けば音が出るため簡単で、年齢や体力、能力に応じてレベルを変化させることができる。親指に装着して演奏するので、全部の指の運動に最適。単純な打ち方でも、さまざまなリズムを作りだせ、打つ速度も自在に変えられる」として、その手軽さがシニアにも受け入れられている。さらに、スペインの闘牛の曲など勇ましい曲に合わせて叩いてみると、元気も沸いてくるという。
褒められる大切さ
今までにも認知症患者にカスタネットを指導してきた経験から、「認知症初期の人はまだらな記憶を周囲の人に指摘されることが多く、自己評価が低くなる。できることが増える達成感や喜びは自信につながり、本人にとって大きな意味がある」と、その効果を説明する。
安藤さんからカスタネットを習いはじめ、かつ子さんに笑顔が増えた。義娘、仁子さんは、「家族は日ごろの看病によるストレスなどもあり、義母が何かするたびに条件反射で怒ってしまう。でも、こうやって第3者の人が音楽という違う角度から客観的に母のできる部分を褒め、伸ばしてくれるのはとてもありがたい」と感謝する。
安藤さんは、看病する側のストレスにも深い理解を示す。熊本県に住む安藤さんの母親も4年前、認知症と診断された。「毎日接する家族は失われていく能力に気を取られ、残されたできる能力に気付かないことが多い。第3者として光にフォーカスを置き、家族にできるところを見てもらいたい」
一週間後、再びかつ子さんとのセッション。「これは何ですか」「これはね、カスタネットという打楽器で―」。その軽快で明るい音は、多くの人を笑顔にする。「自分が愛するフラメンコが、違った形で人の役に立っていることがとても嬉しい」
セッションは一回20分から。クライアントの体力や能力に応じ、カスタネットに足のステップやフラメンコのダンスを加えることもできる。料金は20ドルから。場所は、ガーデナのスタジオ(16418 S. Western Ave. #A)または自宅へ出張も可能。
また、一般向けのフラメンコ教室も催している。詳細および申し込みは安藤さんまで、電話310・874・3363またはメールで―
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【中村良子、写真も】