晩秋のベトナムの朝は、柔らかい日差しとともにゆっくりと始まります。遠くに聞こえるクラクションの音が次第に増してくるにしたがって、朝の深まりを感じることができます。大通りの喧騒から路地に入ると、たぶん数百年も前と同じ営みの生活を垣間見ることができます。
街角では、今でもサイゴンという懐かしく愛された響きの言葉が人々の間で使われており、私たちに70年代を思い起こさせます。道と人とを縫うように、バイクが器用に通り抜けます。この国では、もはや交通の主役は人でも車でもなく、バイクであるということは誰の目にも明らかです。ひっきりなしに鳴り続けるクラクションの音は耳障りでしかありませんが、数日も滞在するとこれも懐かしい響きになるから不思議です。
ホーチミンの中心部にある旧大統領官邸からひとつ通りをはさんだ所に、ベトナム戦争証跡博物館があり、戦争によるさまざまな虐殺や破壊行為の歴史を学ぶことができます。有名なロバート・キャパの写真だけでなく、中村梧郎、石川文洋の写真がベトナム語、英語だけでなく日本語の解説とともに展示してあります。枯葉剤による奇形児の写真は目をそらしたくなりますが、全体で500万人を越える死傷者を出した戦争の現実からは目を背けるわけにはいきません。日本で起こった反戦運動のポスターなども展示されていました。
ベトナム人の若者ガイドが自慢げに私に言いました。「欧米人は1時間しか待てない。日本人などのアジア人は2時間くらいは待てる。だけどベトナム人は3時間でも待てる」と。決して待つのが得意な、お国柄であることを言いたいのではありません。中国、ロシア、フランス、アメリカ、そして日本に占領され、その時々の支配者に翻弄されてきたベトナムの人には、我慢の歴史が染み入っていると感じます。社会主義に反発する人たちは他国に亡命しましたが、我慢をし続けて残った人々は、今発展をし続ける自国を愛し、そして平和な社会主義を謳歌(おうか)しているように思えました。【朝倉巨瑞】