立ったり坐ったりするときに思わず、「どっこいしょ」とつぶやくことはないでしょうか。誰に教えられたわけでもなく使ってしまうこの言葉は、足腰に力を入れるときに掛け声を口から出すことによって、自分に力を入れて励ます合図のようなものです。
 民俗学者の柳田国男氏によると、「何処へ」(どこへ)が語源だそうで、「なんの!」や「どうして!」という相手の発言をさえぎるために使う感動詞がなまった言葉とのことです。今でも使われる「ところが、どっこい!」という言葉や、相撲で使う「どすこい!」という掛け声も同じ語源から来るそうです。
 もうひとつの語源は、「六根清浄」(ろっこんしょうじょう)がなまったものという説です。富士山に登るときに、「六根清浄、お山は晴天」と呟きながら登る人が今でもいらっしゃることをご存知でしょうか。
 日本には古来から、山の神様や祖先をお祭りする信仰があります。山に登りながらつぶやくこの言葉「六根清浄」が、疲れによりなまってきて、「どっこいしょ」と聞こえたという説です。六根とは、目、鼻、口、舌、身、意(心)のことです。つまり人間が感じる五感に心を足して、六感(六根)というわけです。「六根清浄」と声に出してつぶやくことで、この六つの器官から入ってくるさまざまな情報を断ち切り、精神を元にもどすことで、清らかな精神で山に登ることが大切だという思いから発せられた掛け声だったのでしょう。
 英語にはとても訳せないこの言葉ですが、いうなれば、リセット。それが「どっこいしょ」に一番近い感覚なのかもしれません。私たちは「どっこいしょ」とつぶやくことで、六つの器官から入る無駄な感覚を断ち切り、自分を新たな気持ちにリセットすることができます。老齢になるほど意識もせずに繰り返し使ってしまう言葉が、知らないうちに自分の意識を新しく磨いていると考えると、日本語が響かせる言葉の意味の精神性と奥深さを、あらためて感じ入ることができます。【朝倉巨瑞】

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