コンサルティング会社「グロービッツ」社長
春山貴広さん
大手企業のサラリーマン生活を捨て、35歳で起業。2005年に米国でコンサルティング会社「グロービッツ」を設立した春山貴広さん。会社経営について、そしてビジネスマンとしての人生を変えた出会いなど話を聞いた。【取材=吉田純子】
「今始めないと後悔する」
大手企業辞め35歳で独立
大学卒業後、時計会社「シチズン」に入社。10年以上、アジア向けの商品企画、国内、海外営業、財務を担当し、米国では執行役員として米国市場シェアナンバーワンにも貢献。サラリーマンとして充実した日々を送っていた。
しかしある時、ふと思った。日本に戻ったら3年後には別の国で仕事をしているのが見えていた。「このまま今の会社に勤め、仮に社長になれたとしても一度起業しておけば良かったと絶対後悔すると思う。だったら今始めた方がいいのでは」
シチズンを退社し、米国での起業を決意した。35歳の時だった。
「多くの男性が起業に対する漠然とした憧れがあると思いますが僕も同じ。学生の頃から思っていました」
もともとビジネスを始めたかったという春山さん。起業を決意した時、自分に何が出来るか問いかけた。恵まれたポジションを捨て事業を立ち上げるからには、自分なりの大義名分がほしい。お金のためだけでなく、世の中のため、日本のためになることをしようと思った。
サラリーマンとして14年間働き、日本企業の海外ビジネスに関しては年齢にしては長く学んできた。米国人の社長のもと米国式の経営も学んだ。「この経験を、数少ない米国の日本企業をサポートすることにいかせる」そう思った。
ゼロから1を作り出す
日本企業の進出手伝う
「今まで世話になったシチズンを利用したビジネスだけはしたくなかった」。競合になったり、他社を手伝うような真似だけは絶対にするまいと心に決めていた。ゼロから1を立ち上げるからには、出来るだけ人がやっていないことをする必要があった。
まず始めたのが、福祉関連ビジネス。日本の福祉機器会社と合弁事業をし、車いすの販売会社を米国で設立した。米国には車いすに乗っている人が多く、日本車もたくさん走っている。でも「日本の車いす」はなかった。そこにビジネスチャンスを見いだした。
「自分が提供できるのは、日本企業が米国で起業する時、どういうケースで失敗するか、どういう勝ちパターンがあるかというノウハウ。そこに車いすの会社と組んでビジネスチャンスが高い産業に挑戦したのです」
パートナーと米国の車いす工場を買収し、工場の社長を数年務めた後、パートナーに株を譲り、運営を彼らに委ねた。その後、現在のコンサルティング業務に完全に移行し今に至る。
「新しいものを米国に持ってきて、人より先に売るだけでは十分な付加価値とは思わない。自分ができることは、日本企業が必要としていることを手伝うこと」。米国では医療機器や食品、化粧品などにはFDAの規制がある。規制の対応を手伝うことをひとつの軸にし、日本企業の米国進出を助け、ビジネスをしやすくするノウハウを教えることに付加価値を見いだした。
メンターとの出会い
心打たれた仕事への情熱
東京都生まれ。千葉県育ち。小柄な割にはリーダーシップをとる少年だった。将来のことを考えはじめたのは20代後半になってから。
シチズン時代、ドバイに転勤になり、自分と同じ他社の20代の駐在員と交流する機会ができた。そこで衝撃を受ける。彼らに備わっていたのは社内で厳しく試された語学力、チーム力、そして個人のモチベーションの高さだった。MBA取得や帰国後のキャリアプランなど明確な目標を持った人物がたくさんいた。会社の中でそれなりに評価を受けていても、社会の中で通用しないことに気付かされた。「やはり世の中に出て、自分を他者と比較しないといけない。狭い会社という組織の中だけで自分を評価していると、自分の本当の立ち位置が分からず、誤解する可能性がでてきます」
その後、米国に赴任し、月に1度、経営会議にも出席するようになった。当然全員米国人。経営のことなど分からない。役員の中に入れてもらえたのは、役員としての資質があるからでも経営資料が読めるからでもない。駐在員だからだ。「常にギャップがあり、本来あるべき姿よりも下駄をはいている状態でした」。下駄を履かず会議で発言できるようになるため、経営層を対象としたプログラムのあるロヨラメリーマウント大学の大学院に通った。
同じ頃、人生を変えるメンターとも出会う。シチズンの当時の米国人社長で、全米時計協会の会長も務めた人物だった。右腕のように春山さんをどこにでも連れて行き、意見を求めた。「29歳の僕を役員メンバーに入れてくれ、数字も読めないのに『春山、これ一緒にやろう』と常に言ってくれたのです」。彼の仕事に対する真しな姿勢、情熱に心打たれ、「僕もこういう経営者になりたい」と思った。
「経営者は常に不安」
日本の学生にエールを
「経営者になってからは常に不安です」。そう話す春山さんだが、仕事に対する情熱は、心底エネルギーが湧いてやりきることが少なかったサラリーマン時代に比べ、倍以上だという。
起業してからは裏切りも経験した。社員にパソコンを持って逃げられ、警察沙汰になったこともある。苦労はあったが仕事を通して人の役に立てていると思える瞬間があるのは幸せなことだと話す。
「日本から来た僕が米国という舞台で仕事をさせてもらっているのだから、しっかり働き、社会に貢献しなくてはいけない。グロービッツを経由してビジネスが成功する確率が高くなるインフラになりたいです」
近年は、就職活動を控えた日本の大学生に、自身の米国での経験を話す講演活動も行っている。
「夢を持って、その夢を実現するための努力をしてほしい。そうすると僕の経験上、なぜか必ず出来るようになるのです」
講演を聞いた学生の中から、米国で企業を志し、日本を飛び出す若者が出てくるかもしれない。そんな日を信じて、今日も春山さんは若者にエールを贈る。

社員と頻繁にコミュニケーションをとり、疑問や問題点などはすぐに解決していく