堀之内総領事(右)から勲章と賞状を伝達されたトウナイ氏

堀之内総領事(右)から勲章と賞状を伝達されたトウナイ氏
 平成27年度春の叙勲受章者のひとりで在ロサンゼルス総領事館管轄区域在住者のミノル・トウナイ(藤内稔)氏(86)に対する叙勲伝達式が27日、ハンコックパーク地区にある在ロサンゼルス日本総領事公邸で行われた。家族や友人、日系コミュニティーの代表者らおよそ50人が出席する中、堀之内秀久・在ロサンゼルス日本総領事から旭日小綬章と表彰状が手渡された。

 トウナイ氏は米国における日系人社会の地位向上と、日米間の相互理解の促進、友好親善に寄与したことが認められた。
 同氏は1929年、当時約3千人の日本人移民の漁師たちがコミュニティーを形成していたターミナル島で生まれた。50年に朝鮮戦争に徴兵され、52年に除隊。55年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)商学部を卒業し、会計事務所の簿記係として働き87年に引退した。
 在職中から日系団体の活動に積極的に参加し、寄付金の調達や日系社会の活性化、日系人の地位向上に取り組んできた。

妻のメリー・ミツコ氏(左から3人目)と堀之内総領事(左端)と乾杯するトウナイ氏
妻のメリー・ミツコ氏(左から3人目)と堀之内総領事(左端)と乾杯するトウナイ氏
 2002年にはターミナル島記念碑委員長としてターミナル島の一角に鳥居と記念碑「漁師の像」を中心とした「ターミナル・メモリアル」の設置に尽力。南加和歌山県人会顧問のほか、日系朝鮮戦争退役軍人団の理事(元会長)、日米文化会館(JACCC)や全米日系人博物館(JANM)でも理事を務めた。また表千家同門会米国南加支部の理事、会長を長く務め、南加地区における茶道の発展にも貢献した。
 戦時中に収容所に送られた経験をもつ同氏は、幼い頃に白人から受けた差別や偏見の記憶が今も消えることなく残っていると話す。サンペドロの雑貨店で10セントの物を買おうとした時は売ってもらえず、静かに元の場所に戻したことも。当時のことは大人になってからも忘れることはなかった。「ひどくがっかりしたのを覚えています。『ジャップには売らない』と言われたこともありました。差別を感じなくなったのは戦後10年ほど経った頃からです」
 1942年5月にはサンタアニタ競馬場に強制立ち退きを命じられ、馬小屋での生活を強いられた。「入った当時、米兵は『お前のためだ。真珠湾攻撃があり危ないから収容所に入れている』と言っていましたが、すぐに嘘だと分かりました。収容所のまわりには有刺鉄線が張ってあり、機関銃が外ではなく内に向けられていましたから」
 当時13歳だった同氏は「殺されるのかな」と思ったという。さまざまな苦労を経験したが、辛い時いつも心の支えになっていたのは「お母さん」だったと振り返る。
 「日系人のためにこれまでさまざまな団体の活動に携わってきましたが、好きだからやってきたこと。まさか自分の人生の中で勲章を頂けるなんて想像もしていませんでした。偏見やさまざまな苦難もありましたが、光栄に思います」と同氏は述べ、受章を喜んだ。【吉田純子、写真も】
親族や友人など伝達式の出席者と記念撮影に納まるトウナイ氏(前列左から5人目。左隣りはメリー・ミツ子夫人)
親族や友人など伝達式の出席者と記念撮影に納まるトウナイ氏(前列左から5人目。左隣りはメリー・ミツ子夫人)

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