堀之内総領事(右)から勲章と賞状を伝達されたトウナイ氏
トウナイ氏は米国における日系人社会の地位向上と、日米間の相互理解の促進、友好親善に寄与したことが認められた。
同氏は1929年、当時約3千人の日本人移民の漁師たちがコミュニティーを形成していたターミナル島で生まれた。50年に朝鮮戦争に徴兵され、52年に除隊。55年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)商学部を卒業し、会計事務所の簿記係として働き87年に引退した。
在職中から日系団体の活動に積極的に参加し、寄付金の調達や日系社会の活性化、日系人の地位向上に取り組んできた。
戦時中に収容所に送られた経験をもつ同氏は、幼い頃に白人から受けた差別や偏見の記憶が今も消えることなく残っていると話す。サンペドロの雑貨店で10セントの物を買おうとした時は売ってもらえず、静かに元の場所に戻したことも。当時のことは大人になってからも忘れることはなかった。「ひどくがっかりしたのを覚えています。『ジャップには売らない』と言われたこともありました。差別を感じなくなったのは戦後10年ほど経った頃からです」
1942年5月にはサンタアニタ競馬場に強制立ち退きを命じられ、馬小屋での生活を強いられた。「入った当時、米兵は『お前のためだ。真珠湾攻撃があり危ないから収容所に入れている』と言っていましたが、すぐに嘘だと分かりました。収容所のまわりには有刺鉄線が張ってあり、機関銃が外ではなく内に向けられていましたから」
当時13歳だった同氏は「殺されるのかな」と思ったという。さまざまな苦労を経験したが、辛い時いつも心の支えになっていたのは「お母さん」だったと振り返る。
「日系人のためにこれまでさまざまな団体の活動に携わってきましたが、好きだからやってきたこと。まさか自分の人生の中で勲章を頂けるなんて想像もしていませんでした。偏見やさまざまな苦難もありましたが、光栄に思います」と同氏は述べ、受章を喜んだ。【吉田純子、写真も】