みんなの拍手により会長、役員とも昨年と同じメンバーが続投することに決まり、米澤会長は「みなさんこれからも頑張ってください、私はもう86歳なのでいつどうなるか分かりませんが」と笑いを誘いつつ、「もう24年間も会長をやっていますからね、そろそろ交代の時期だと思うんですが…まあ、頑張るだけ頑張ります!」と東北人独特の「ズーズー弁」で軽快にあいさつをした。
◎震災5年目の活動は
同会は震災直後からさまざまなイベントなどで義援金を集めはじめ、その額はこの5年でおよそ20万ドルにもなった。この義援金活動をこれからも継続して行うという。今年は新たな取り組みとして、被災地で食のイベントを開催したり、県産食品のアメリカでの販路拡大に協力したりして、復興を支えていく。
◎知事から感謝のメッセージ
村井知事は、県人会の復興支援にあらためて感謝の気持ちを表し、「県内各地で復興は着実に進行していますが、その一方で、震災により失われた県産品の販路回復など課題も山積しています」と現状を報告。今後、宮城の企業から人材をアメリカに派遣するなどして販路を拡大することが大切で、その懸け橋としての県人会の協力はこれからも欠かすことができないとの思いを伝えた。
また、復興支援の一環として、4月23日、24日の2日間、石巻市でおよそ250人に食事をふるまうイベントを県との協力のもと開催する。1年かけて準備をしてきたこの催しで料理を担当するのは、長年フランス、イギリス、スイス、アメリカ各地で活躍し、現在はロサンゼルス在住の佐藤了さん(77)とアメリカ人のシェフ仲間3人。アメリカ料理やアフリカ料理などインターナショナルな食事を楽しんでもらうのだという。
◎新たな若手メンバー
今回の新年会には新しいメンバー4人が参加した。宮城から自動車会社の駐在員としてきた松本さん夫婦とそのお子さん。奥さんの美香さんは「主人の実家は塩釜市で震災で被害にあい、彼はしばらく避難所の体育館から会社に通っていました。私の実家は内陸の登米(とめ)市にあったので大丈夫でしたが、ずっと今までボランティアとして活動してきました。ここロサンゼルスでも支援を続けていけるのはとても嬉しいことです」と話していた。
また、旅行会社の駐在員で仙台市出身の都筑由佳さんは「お客さんに宮城県ゆかりの方がいたことがきっかけになって、県人会に入りました。震災の時にたくさんの方からサポートをいただいたので、この会を通じて地元に還元できればいいなと思っています」と思いを語った。
◎県人会と県とのきずな
米澤会長は渡米前、県庁の職員として働いていた。アメリカに渡ってからもふるさと宮城、そして県庁の職員や知事たちとのよい関係を築きながら、両国の懸け橋としての役割を担っている。
義援金活動や県産品の販路拡大をサポートすることでの復興支援、七夕祭を通じての文化の継承、そして、県出身者たちが地元とつながっていける居場所を提供できるのは、日本から5500マイルも離れているロサンゼルスの県人会だからこそのサポートである。
3月11日で震災から5年を迎える今年、宮城県と南加宮城県人会がより協力し合い、さらなる復興へと着実に歩み出していくことを願う。