静岡駅から少し歩くと駿府城址があります。天守閣はなく、駿府城公園になっています。この公園の真ん中あたりを横切っていたら、徳川家康が将軍職を退いた後、駿府城で隠居をしていた折に、紀州から献上された鉢植えミカンを、家康自らの手で植えたものだとされる「家康公お手植えのミカン」の木がありました。今でも実がなるようで、毎年市民に配布されているそうです。県の天然記念物になっているためか、厳重な囲いがされてありました。家康がミカンの木を植えた気持ちというのはどんなだったのだろう、と400年前の時代に思いを馳せました。
そこからもうすこし歩いた住宅街に小さな小さな駄菓子屋さんを見つけました。店の建物は新しく、その一角の2畳ほどのスペースに小奇麗に駄菓子が並べられていました。思いもしない場所で思わぬものを見つけて、とても嬉しい気持ちになり、中に入って店番をしているおばあちゃんに話しかけてみました。人の好さそうなおばあちゃんは、50年以上も駄菓子屋を続けてきたこと、昔はもっと大きな店だったこと、近所には子供もたくさん住んでいて繁盛していたこと、10年前に家を建て替えたこと、それでも駄菓子屋は残したかったから小さなスペースを作ったこと、だけど駄菓子を仕入れることが静岡では難しくなって、今では東京から送ってもらっていることなど、何の縁もない私に話してくれました。
儲からないからボランティアのような商売だと嘆いた顔は、笑顔で輝いていました。そして子供たちからは、「おばあちゃんがこの店をやめる時には、私が継ぐからね」と言われた、とさらに嬉しそうに教えてくれました。おばあちゃんにとっても子供たちにとってもかけがえのない宝物の店なのだと思いました。そうこうするうちに元気な声の四、五人の小学生が店に入って来て足の踏み場がなくなり、押し出されるように退散しました。そして私は、家康の遺したものはミカンだけではなく、生きる気概や次の世代を思いやる心であったことを知りました。【朝倉巨瑞】