JBAは、高度経済成長の波に乗り日本企業が盛んに米国進出していた1961年、48社で発足した。この頃は、港湾ストや地元企業との摩擦なども生じたたため日系企業が助け合い、問題解決に努めた。
変動為替相場へと移った70年代に入り、日米の貿易関係は安定したものの、加州では州外の関連会社全体にも課税する独自の税制「ユニタリータックス」が日系企業の成長を妨げた。JBAは、会員企業を代表して10年近く州議会と交渉、同税制度は修正された。
地元経済に打撃を与えた92年のロサンゼルス暴動の際には、業務での雇用のみならず、寄付や奉仕で再建を支援することで、日系企業の信頼が高まった。2001年の米国同時多発テロや、リーマンショックを経験。不況下でも日系企業は地道な努力を重ね、地域経済を支えてきた。
JBAは、会員共通の利益を守る経済団体。「会員サービス」「教育支援活動」「地域貢献・地域融和」を三本柱に、南カリフォルニアと日本との相互理解を深め、ビジネスと人的交流の促進を活動の趣旨とする。
活動は多岐にわたり、専門の各部会に分かれて活動する。州議会や政府機関との交流、現地校に通う子弟を教える教師を日本に招く短期研修プログラム「US Educators to Japan」の実施、専門家を講師に招いたビジネスセミナー、法律や税制マネジメントなどを開き最新の動きを理解する。地元の統一学校区の教育支援に力を注ぎ、高く評価されている。
LA市長ら祝辞を贈る
日系企業の活動を称賛
祝賀レセプションでは、来賓が祝辞を贈った。日系企業の活動を称賛し、地元への貢献に謝意を表し、さらなる発展に期待を寄せた。
堀之内秀久総領事は、JBAの道のりについて「55年継続することは、容易なことではなく、すばらしい。この国で市場を発掘し、日本製品の販売に努めてきた。今日では、世界に影響を与える自動車メーカーやメガバンクを含む500以上の会員企業が9万人以上の雇用を創出している」と高く評価した。その歴史を「ビジネスにおいて重要な役割を果たし、日米両国の絆を強める成功ストーリーだ」と表現。また昨年、ヒスパニック系商工会議所と交流を開始したことも評価した。
あいさつに立った三宅会長が謝辞を述べ、半世紀以上のJBAの歴史を「南カリフォルニアに住む人々と日本人の相互理解のための人的交流を図りながら、ビジネスの促進に努めてきた」と力を込め、地元の支援に謝意を表した。近隣地区の中韓系に加えヒスパニック系の商工会議所との交流に意欲を示しながら「地域社会に溶け込むことは、第一のミッションである」と、あらためて地域への貢献・融和を強調した。
キティー・サンキ南加日系商工会議所会頭 JBAは、その名の通り日系企業の集まりであり、日本の国外で最も日系企業が集中して活動する南加地区で、会員間で協力して日本という強みを生かして活動していてすばらしい。地元日系社会をよく知るわれわれ南加日商とビジネス交流会などを開き、ネットワークを広げることができればいい。
デイビッド・テラガワ二世週祭委員長 JBAは二世ウィークに多大な支援を継続し、われわれにとってとてもいいパートナーであるので、この関係をずっと続けたい。JBAの各会員は、日系社会の一員としてさまざまなイベントに参加して地域に根を下ろしている。教育にも力を注いで、すばらしい活動を行っている。
ダグ・アーバー南加日米協会会長 JBAは、日米協会のよい理解者である。われわれが行う日本語を学ぶ高校生のための教育プログラムを支援している。日本語学習を奨励し、生徒が継続して学ぶことで将来、2カ国語を駆使して日米交流を行ったり、日系企業で働いたりして、日米関係に貢献してくれることが期待できる。JBAはまた、われわれが主催する日米関係におけるシンポジウムを支援してくれている。地元ではほかにも、教育支援や公共施設の清掃、日本文化の振興団体などの支援を行い、昨年からはヒスパニックの地域社会とも付き合い、すばらしい活動を続けている。
吉村佐知子JETRO・LA事務所所長 日系企業の南加での雇用の貢献は大きく、また中小企業も日本から進出し始めているので、日本との交流はいっそう深まるだろう。本社を他州に移す動きがあるが、南加は市場が大きく、日本に距離的に近くてまた、日系社会もあるので米進出の拠点として、そしてその後の全米展開する上で魅力がある。南加で活動する日系企業は、日系米人が信頼関係を築いてくれたベースに基づいて発展したのは間違いない。(JBAが発足した55年前は)日本からの輸出が主導だったが、今は現地生産に移し、得られた収入を日本へ還元していてまた、中小企業が米進出するという転換期でもある。日本の食やアニメ、音楽などの文化が認められ、日系企業の信頼につながっているのもいいこと。
三宅会長
南加の魅力は変らない
経済活動を行う価値ある場
われわれが経済活動を行うロサンゼルスは、日本から製品が到着する貿易港を持ちまた、西海岸なので日本との距離も近く、東海岸に比べて時差の点から日本とコミュニケーションが取りやすい。ここから自動車メーカーなどの日本企業が米国進出を開始した歴史がありまた、マーケットの大きさ、日本人にとっての生活インフラが整っていることなど、そういう魅力は今も昔もまったく変っていない。
自動車産業など、北米進出後の歴史が長い企業は現地生産も行い、最近はコストの安い他州に本社を移すケースがあり、この動きは日米関係の成熟度を象徴しており、自明のことである。しかし、述べてきたロサンゼルスを中心とした南カリフォルニアの日本企業にとっての魅力は変わっておらず、決して地盤沈下することはない。
日本の人口減少が進む中で、日本を出て日本と日本人の強みを武器に「グローバル市場」を目指す中堅企業や地方の企業が増えている現状がある。そういう企業にとって、米国は巨大なマーケットであり、そのマーケットへの進出の橋頭堡(きょうとうほ)たり得るのは、この南加だと思う。だから大きな企業が中西部に移っても、決して悲観する必要はない。
日本の価値をアピール
アジア諸国とライバル競争
当地で暮らしていると、アメリカ人の多くが日本というものの価値を分かっているということを感じる。時間と約束を守るという日本人の気質や、高い品質、安全、安心な商品を提供しているといった価値を認めてくれている。
ライバルであるアジア諸国と競争していくためには、日本の価値をしっかりとアピールすることが大切であると同時に、アピールするためには、われわれ自身がグローバルになり、しっかりと外へ出ていくことが大切である。これをきっちりと行い、日本の価値を自分たちの言葉で伝えるようになれば、必ずしも日本だけが突出した経済力を保持しているという環境でなくても、決して他に負けることはない。
北米という大市場に進出するアジア各国企業の成長は著しい。航空業界を例にすると、韓国しかり、中国しかり、日本も含めて、北米からアジアへの需要の獲得競争を行っている。競争は決して航空会社をはじめとした民間企業によるものではなく、空港という各国の社会インフラも含めて、日本という国がアジアのゲートウェーであり続けられるのか、北米からアジアに向かう時のハブ拠点になり得るか、という国同士の競争であり、「オールジャパン」としてしっかり勝ち残っていかなければならない。今後、世界で最も旺盛な北米とアジア間の貨客流動を日本経由とすることができるのかが、これからの日本の成長の重要なファクターとなる。
次の55年へ向けて
500社が力を合わせる
JBA活動の大きな特徴は、会員企業の人事異動によって、役員体制は年々替わっても、決して活動の量と質を下げずに活動してきたことだと思う。なぜそれが実現できるのか? というと、一言で言えば「使命感」。「南カリフォルニアと日本との相互理解を深め、ビジネスと人との交流を促進する」というミッションに共感し役割を果たしたいという思いだと思う。同時に、活動のプロセスで得られる達成感、何かを皆で一緒に作り上げる喜びだと考えている。
なぜ、会員の皆が仕事の合間を縫って、自身のプライベートの時間を削って活動するのかというと、それぞれがここで培った絆や仲間意識に価値を見出しているからだと思う。「知り合って知人となり、語り合って友人となり、助け合って仲間となる」という言葉があるが、互いに助け合うことで、ここロサンゼルスで、会社組織を超えた、ある意味、日本に住んでいる時以上の仲間ができ上がっていく。この絆がこれまでの55年を支えてきたし、これからの55年もバトンを渡し続ける原動力になると思う。
JBAのこれからは、「不易流行」という言葉に表わされる。いつまでも変化しない本質的なものを忘れないなかにも、新しく変化を重ねているものを取り入れていくことこそ重要である。在外の商工会としては世界最大規模で、多くの熱意を持った500社を超える企業が力を合わせて、多くのイベントを主催している。これらを守り維持しつつ、われわれ自身が日本のグローバル化の先頭に立って、外部の人たちとも接点を強めていく。決して待つのではなく、積極的に外へ出ていきたい。その中で、守っていくものと新しく挑戦していくものの両方が合わせ持って次の55年がやって来るのではないかと思う。