今、LAカウンティー美術館で、男性服装史が特別展示されている。1715年から現在に至る300年の歴史を300体のマネキンが着た服が見せてくれる。
 18世紀、絢爛豪華な女性の服装にマッチするきらびやかな男性のジャケットは、丹精こめた刺繍で縁取られ、丁寧に縫製されている。誰かの手によって縫われたこのジャケットは長く愛用され、役目を果したのだろう。当時、服装は社会的地位を示すものだった。
 時代と共にはやりすたりがあり、服装はさまざまに変化してきた。材質、形、色使い。世相を反映する服装に時代の推移が映る。いかにも金融関係者らしい権威そのものの服装、メタルなどの光物が所狭しとくっついている黒の革ジャンパー、金色夜叉ではないが、例の黒マントに高下駄姿もある。服装は相手を威嚇する一つの手段でもあったようだ。反対にヒッピー全盛期の花模様のズボン、鶴が舞い飛ぶ紅色や緑のハワイアンシャツは見るだけでも和む。これらの服装の上にどんな顔が乗っかっていたか、容易に想像できるのも、おかしい。
 面白いことに、着る人が自己表現の手段として自分らしい服を選ぶのか、知らず知らず外見に合った自分になってしまうのか、外見と中身の人間の資質は不思議とピッタリ合致することが多い。
 ところが現在は、誰がどんな服装をするか全く自由である。流行に押し流されず、自分のスタイルを貫く人も多い。人種の坩堝(るつぼ)のアメリカでは、多様な文化的背景を背負った人の集まりだから、人を判断する手っ取り早い一つの手段が外見である。
 だからこれを逆手に取り、相手に自分をどう判断してもらいたいか、自分のイメージを日常の服装でコントロールできるともいえよう。外見の影響力を正しく理解し、手段にできる良い時代ともいえる。
 社会の一員としての責任、家族を守る大黒柱としての矜持を包むのに、きりりと引き締まったジャケット姿こそ男性を引き立たせる。300年の服装史がまぎれもなくそれを物語っていた。【萩野千鶴子】

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