戦時中、1万人以上の日系人が収容されたカリフォルニア州のマンザナー強制収容所(1942年7月3日撮影)

 第二次世界大戦中、当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが日系人を強制収容所に収容する大統領令に署名してから19日で75年を迎える。【吉田純子】

 

JANMで開催されている「Instructions to all Persons」を見学するLA 市のエリック・ガーセッティー市長(同市長フェイスブックページより)
1941年に日本がハワイの真珠湾を攻撃した日米開戦後の42年2月19日、ルーズベルト大統領は「大統領令9066号」に署名した。同大統領令が発令されたことにより日系人およそ12万人が強制収容所に送られ、日系人は住んでいた場所から立ち退きを強いられ、家や仕事、所持品まですべてを失った。
 終戦から40年以上たった88年8月10日、当時のロナルド・レーガン大統領は「市民の自由法(日系米国人補償法)」に署名。戦時中行われた日系人の強制収容は基本的自由と憲法で保障された権利の侵害であったことを認め謝罪し、強制収容された日系人に対しそれぞれ2万ドルの補償金が支払われた。
 全米日系人博物館(JANM)では大統領令9066号が発令されてから75周年を迎えたことを記念する展示が18日から行われるのを前に、LA市のエリック・ガーセッティー市長ほか、5歳の時にアーカンソー州ローワー強制収容所に収容されていた日系人俳優で活動家のジョージ・タケイがJANMを訪れ、日系人の歴史の一幕を振り返った。
強制収容所で過ごした幼少時代を振り返る日系人俳優のジョージ・タケイ(同市長フェイスブックページより)

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