マッカーサーと対照的
ニミッツは当初、ウェストポイント(陸軍士官学校)を志望していたものの、アナポリス(海軍兵学校)に進学。のちに事故で左手の薬指を切断したが、アナポリスの卒業指輪をはめていたおかげで、第二関節から下は残り、海軍除隊を免れたという。もしニミッツが陸軍に入っていたら、指を完全に失っていたら、太平洋戦争の結果は違っていたかもしれない。
ホテルの建物の屋根にひるがえる星条旗を背に、ニミッツの銅像が立っている。太平洋の方角、西を向いたその顔は、親しみと思慮深さをにじませる。スポットライトを好んだマッカーサーと対照的に、質素で謙虚な人柄だったという。死後50年が過ぎた今も、フレデリックスバーグの人たちは、そんなニミッツを息子のように誇りにしている。
スミソニアン級の博物館
Photo by Leo Aguirre
スミソニアン級の貴重な展示物が所狭しと並んでいる。真珠湾攻撃に参加して米軍に捕獲された、日本の小型潜航艇「波」(HA)。真珠湾の報復で日本空襲(通称ドゥーリトル)に出動した、B25爆撃機。日本が開発した水上戦闘機「強風」(アメリカではREXと呼ばれた)。長崎に落とされたのと同じ威力で、日本の降伏がもう少し遅ければ使われていたかもしれない原子爆弾「ファットマン」のケーシングも陳列されている。
Photo by Leo Aguirre
「多様な視点」で戦争伝える
しかし博物館の存在意義は、こうした貴重な展示物よりも、そのミッションにある。それは、膨大な犠牲者を出した太平洋戦争を、勝者アメリカの愛国的な視点からではなく、多様な声と解釈を交えた「ヒューマンストーリー」として伝えること。
アメリカの、しかも保守的なテキサスの田舎にある博物館なのに、「アメリカ万歳」でも「戦争礼賛」でもないことに、私は少々驚いた。その理由を、博物館のディレクター、ジョー・カバナーさんはこう説明する。
「歴史上の出来事、特に戦争には、さまざまな解釈や論争があります。それらを尊重し、バランスに配慮した展示をすることが、適切な対話を導く唯一の方法だ、と私たちは考えています」
その考え方は、展示の流れによく表れている。19世紀前半のアヘン戦争までさかのぼり、日本がなぜ植民地主義と対米戦争に走ったのか、政治、経済、精神面から迫ろうと試みている。「すべては真珠湾攻撃から始まった」と思っている見学者に、新鮮な学びとなるようだ。
Photo by Leo Aguirre
「同時に、戦争は最善のオプションでは決してありません。戦争は残虐です。死者と負傷者を出し、街や工場が破壊され、あらゆる面で大きな犠牲を伴います。愛する人を奪われて最悪の打撃を受けるのは、文化の基盤である家族やコミュニティーです。アメリカだけではない、戦争に関わったほかの国もみな同じです。生活する場所が実際に戦場となった人たちは、より大きな打撃を受けたということも理解してほしいと願っています」
小さなコーナーながら、日系アメリカ人の強制収容に関する展示もある。「国内のネガティブな出来事にも触れなければいけないと感じていました。日系人の強制収容はその一つで、何が起きたのか、正直に真実を伝えることが大切だと考えました」とカバナーさんは言う。
太平洋をつなぐ平和の庭
博物館の外の広場には、慰霊のメモリアル・ウォールがある。太平洋戦域で亡くなった軍人や戦艦、艦隊などの名前が刻み込まれ、その数は三千以上。今も増え続けている。
ウォールに沿って歩くと、日本庭園にたどり着く。ニミッツが戦後の日米友好に貢献したことに感謝して、1970年代に日本から寄贈された。ニミッツは、日露戦争で活躍した日本の海軍司令長官・東郷平八郎を尊敬していた。1934年の国葬にも参列している。荒
庭園は、どこまでも続く太平洋の海原と、二人の軍人を結ぶ絆をイメージしてつくられた。博物館では毎年、元米兵と元日本兵らを招いてシンポジウムを開催しているが、セレモニーは必ずこの庭で行うそうだ。「かつての敵と対面した元軍人たちは、癒しを得て、互いを尊敬し、たいていその後、生涯の友となります。日本庭園は、平和と友情、和解を象徴する場になっているのです」と、カバナーさんは語る。
庭園は大規模な改装を終えて、昨年春に再オープンした。新しい草木が、テキサスの陽光を浴びて勢いよく育っている。「それと同じように、これからもっと多くの日本人がこの特別な場所を訪れてくれたら…」とカバナーさんは期待する。ヒューストンと成田を結ぶ直行便が就航したこともあり、最近は在ヒューストン総領事館との交流も進み、日本からリサーチの問い合わせも増えているという。
学ばぬ者は過ちを繰り返す
イオウジマ、ラバウル、ルソン、オキナワ…。戦場となった南洋の島々は、今ならハネムーンの候補地になりそうな、世界でも美しい場所にある。そんな遠いところまで行って、私たちは殺し合わなければいけなかったのだろうか。
Photo by Leo Aguirre
私がフレデリックスバーグを訪れた同じ頃、アメリカはシリアを空爆し、北朝鮮に脅しをかけ始めていた。行ったこともない遠い国、縁もゆかりもない場所を「戦場」とする限り、私たちは十分な痛みを感じないのかもしれない。過去から学ばない者は、過ちを繰り返す―。博物館の入り口に書いてあった言葉を思い出して、重たい気持ちになった。(終わり)(文・写真=佐藤美玲)
National Museum of the Pacific War
340 E. Main Street, Fredericksburg, TX
www.PacificWarMuseum.org
アメリカ本土で唯一の太平洋戦域を専門にした博物館。2009年の開館以来、3度の大掛かりな展示の入れ替えや追加をしている。併設の日本庭園(The Japanese Garden of Peace)には、東郷平八郎の書斎のレプリカがある。館外の施設「Pacific Combat Zone」では、戦闘シーンを再現するショーが行われることもある。エンターテインメント的な要素がないと子供たちが関心を抱かない、という背景があるそうだ。
Hangar Hotel
155 Airport Road, Fredericksburg, TX
www.HangarHotel.com
第二次世界大戦をテーマにした、全米でもユニークなホテル。実際に使用されている飛行場の中にあり、部屋のベランダから小型機の離着陸が見える。朝鮮戦争を舞台にした人気TVドラマ「M*A*S*H」を思わせるようなレストランやバーもある。
411 S. Lincoln Street, Fredericksburg, TX
www.Jelly.com
テキサス・ヒルカントリーの果物を使ったジャムやソース、スパイスなど。おみやげ選びにぴったりの店。「Original Roasted Raspberry Chipotle Sauce」は、アメリカ人がチポットレにハマるきっかけとなったベストセラー商品だ。クッキングスクールも開催している。
318 E. Austin Street, Fredericksburg, TX
www.TubbysFBG.com
フレデリックスバーグのダウンタウンにある人気のレストラン。名物のタコスとフレンチフライはボリュームたっぷりで、フレーバーが豊か。今はやりのロゼワインを凍らせた「フローゼ」や、炭とレモネードのアイスキャンデーも試してみて。隣接する「Otto’s German Bistro」も同じ経営者で、近隣の農家でとれた食材を使ったオーガニックな料理に定評がある。
Navajo Grill
803 E. Main Street, Fredericksburg, TX
www.NavajoGrill.com
サウスウェスタンのフュージョン料理がおいしい店。揚げたアボカドのサラダ、フィレステーキ、グリーンチリのパイ、ペピータ・フラットブレッドなど、テキサスらしいメニューが人気だ。
Special thanks to Fredericksburg Convention & Visitors Bureau
フレデリックスバーグの観光情報はここで!
www.VisitFredericksburgTX.com
佐藤美玲(Mirei Sato)
ジャーナリスト。ロサンゼルス在住。東京生まれ。朝日新聞記者を経て、渡米。UCLA大学院アメリカ黒人研究学部卒業・修士号。UC Berkeley博士課程中退。日系雑誌の編集者を務め、フリー転身。旅を通して、歴史と文化、ランドスケープとアイデンティティーを探る。
VenusAtPoise@gmail.com