戦後世代の自分には、当然戦争自体の思い出はなく体験した人たちから聞いた話と、本や雑誌で知ったストーリーだ。身近に聞いた戦争体験は父の中国での4年間と、母からの日本国内での生活だ。
父は兵長として蘇州でそのほとんどを過ごしたようだ。幸い戦闘にかり出されることもほとんどなく、所属する部隊が駐屯していた辺りの中国人夫婦から、彼らの娘さんと結婚して中国に腰を落ち着けたらどうか、と尋ねられたと微笑みながら話していたのを覚えている。英雄物語的な体験を聞けるかと期待し聴き入っていた少年には、何とものどかな話で拍子抜けした。
浦和に両親と住んでいた母は、大戦当時有楽町にあった海軍省に勤務していた。終戦間際の頃は毎日のように書類を燃やしていたのを覚えているとのこと。帰宅し夜に空襲があると東京の方の空が赤く染まっていたのが、浦和からもよく見えたとのことだ。翌日行くと町中が焼けて死体も見かけたと、声を詰まらせた。
「お店に行ったって何もないのよ。棚なんか全部空っぽ。お金があっても何もなくて買えなかった」とよく話していた。「男の人も若い人はみんな戦争に行って、残っていたのは病気の人と年寄りだけ。それが私たちの青春だった」
数年前、サンタクルーズでリトリートに参加したことがある。書くことを職業や趣味にする人たちを対象にし、リトリート中に書き上げたものを発表し合った。ドナ・ブラウンという女性の随筆は、彼女が終戦直後の日本に数年間滞在したときの回想で興味深かった。
医師であったドナの父は、アメリカ政府からの依頼で日本人の状況を調べるため終戦後の東京に派遣された。一家で東京に引っ越し最初に暮らした場所は、当時GHQのヘッドクォーターに使われていた有楽町のすぐ近くの帝国ホテルだった。少しして郊外に移ったとのことだが、ほぼ時期を同じにしてドナと母は同じ場所で同じ風景を見ていたのだろう。
そんな母も今は人生の最後の日々を、ホスピスで静かに過ごしている。72年が過ぎ戦争を体験した世代が少なくなっている昨今、終戦記念日に思いを馳せてみた。【清水一路】