11月11日、道後・湯の町・松山は15万石のお城がクッキリと青空に映え、山の手のホテルで高校同期の「喜寿を祝う会」が盛大に開かれました。
 ロビーの受付では、そこここで久し振りの再会に笑い声が弾みます。今回の喜寿の会には80名が参加、77歳で喜寿を祝う会にこれだけの同期生が集まれるのはめでたい。全員で記念写真撮影。
 会場に入るとテーブルにはプログラムが用意されていました。今までの集会の写真に加え、卒業アルバムからとった一人一人の卒業時の写真とともに名前や住所・電話番号などが記載された参加者全員のリストが載っています。本人と見比べると見る影もなく変わっているが、高校時代の思い出はあの頃のまま。物故者のリストは既に58名にも及びます。
 「喜寿を祝う会」とあって遠方からの参加者も多く全国各地から来ています。住所録を整え案内状を出し、電話をかけてこれだけの参加者を揃え、会場や遠来者のホテルの予約、プログラム作成などさまざまな用意をしてくれた幹事には感謝感謝です。
 9年前にLAから帰国し、こうして同期生の会に溶け込めるのは友人たちの紹介があってのこと、以前帰国した際に、50数年振りの友人が「新聞で見たよ」とホテルを探し出してあってくれたのがきっかけでした。それ以来、折に触れ郷里を訪れ、関東でも県人会や同窓会・同期会にマメに顔を出すようになりました。この年になると社会の毀誉褒貶は関係なく、「お前、俺」で通じ合います。これぞ同窓・同期の有難いところです。
 平均寿命なら後4年、もし元気でいれば3年後の東京オリンピックの2020年には全員が「傘寿」を祝えます。年々平均寿命が延びたとはいえ、75歳を過ぎると急速に体力が低下し、さまざまな不自由に見舞われる仲間が増えます。それでもザックバランに話せる同期会は楽しい。
 年をとると「教育と教養が大切」だという。「今日行くところがある。今日用事がある」と毎日行動目標を持って1年1年を頑張ろうと誓い合った会でした。これからは一刻一刻が貴重な時間、噛み締めながら毎日を過ごしたいねと別れました。【若尾龍彦】

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