まだ日本に住んでいた若かりしころ、SF本が好きであった(今でもそうだが)。特に好きだったのが近未来の科学の発展、未来予想図(Dreams Come Trueの歌にこんなタイトルがあったな)などを扱った特集。そのなかにはAI関連の話もふんだんにあった。
今思い返してみると、当時のAIはどちらかといえば人間的反応をするロボットの人工頭脳(知能)に焦点が当てられていたように感じる。
現在ロボットと呼ばれる物は、人型よりも工場の製造ラインや自動運転車など、大きさも形もまちまちで仕事により形態が違うのが当たり前となっている。
昔の漫画などで、人型ロボットが人間のかわりに工場のラインに並び、黙々と組立て作業をしている描写もあったが、別に人型でなくてもいいのになと思えるこの頃だ。
ちなみに「ロボット」はチェコの作家カレル・チャペックのチェコ語で「労働」を意味する「ロボタ(元々の語源は古代教会スラブ語での「隷属」の意だとか)」からの造語とされている。
ロボットが出てくる作品はたくさんあるが、映画『I, Robot』の原作の一部でもあるアイザック・アシモフのロボットシリーズは有名だからお目にされた人もあるかも。
自分の中でロボットというと、すぐ頭に浮かぶのが1926年に製作されたドイツ映画、『メトロポリス』に登場した人型ロボット(アンドロイド)。もちろん無声、白黒。
主人公のマリアそっくりに外見を変えられ、労働者階級の団結やメトロポリスそのものを壊そうとする人の片棒を担がされる。この変身前のマリアロボット、スターウォーズのC3POに似ていなくもないが、個人的にはマリアロボットのほうがもっと格好いい気がする。
小説ではそれこそピンキリ、多種多様。わが敬愛するロバートAハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』の中には自我を持ったコンピューターが重要な役どころで出てくる。僕もこんなコンピュータがほしい。
しかしなあ~。何度失敗しても学ばない僕からみたら、プログラムだろうが何だろうが一度で覚えるAIはスゴイ!【徳永憲治】