去年は菜の花で丘一面が真黄色に染まっていたのに、今年はちらほら。一体どうしたのかしら、という声をよく聞く。答えは簡単。冬に雨が少なかったからだ。自然界の植物は実に正直だ。冬、雨が多ければ、何年も土中で眠っていた種も芽吹き、見事に花咲く。そしてこの世のものとは思えないほどの美しい景色を創造してくれる。雨が降らなければ、花の少ない春となる。楽しみにしているフリーウエー沿いの野花も、今年は少し寂しい。
 日本の春は桜が運ぶ。LAの春はジャカランダが運ぶ。LAの桜といわれるあの薄紫の木の花が、まるで霞のようにあちこちに浮かび始めると、春が来たと心和む。この地を訪れた人は決まってこの紫を記憶に留め、住む者には春の代名詞だ。
 東海岸ではドッグウッドという白い花の木がこれに相当するらしい。日本名はハナミズキ。日本から明治時代に「平和の使者」としてアメリカに桜を贈った返礼として、日本に贈られた花木なのだとか。桜に対抗するのに十分な品格がある。
 わが前庭に1本の白バラの木がある。植えた時はひょろひょろだったが、朝日が当たるせいか、10年後の今は木と呼んだほうがふさわしい大きさに成長した。今は春一番の花が鈴なりに付いている。通行人が皆、立ち止まって見上げる。1本のバラもここまで大きくなると圧倒される。話しかけたくなるような存在感がある。
 自然に育った花を見ると、絵心をそそられる。店頭で買った花は絢爛(けんらん)豪華ではあるが絵に描きたいとは思わない。描きたいのは、花の持つ精気なのだろう。
 今、日本食料品店では、なす、きゅうり、ししとう、ピーマンなどの苗木が売られている。自分で育てたきゅうりは曲がってしまう。曲がると商品にならないとプロから聞いたことがある。育てて初めて、店頭に並ぶ野菜の背後に払われた労働が推測できる。
 春らんまん。新しい命の息吹は、自然界と人間のさまざまな営みを考えさせてくれる。【萩野千鶴子】

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