これは日本に住んでいた頃の経験。中学受験の盛んな都心の小学校で息子は友だちと楽しく塾通いし、私は受験のイロハに目を向けていた当時、「どうなのだろう、これって」と思っていたことがある。目標校選びでは進学率や評判、通学時間、果ては制服のかっこ良さまでいろいろな指針があったが、校風については案外気にされていない様だった。
 これは友人の息子たちに関するつぶやき。「兄は共学育ちで女の子の扱いがうまいが、弟はずっと男子校だったので未だにGFがいない。ちょっと、心配」
 かように、学校生活は将来の考え方や行動に多大に影響する場だと思うのだ。
 結局わが家は中学1年から渡米したので「アメリカ!」と言う校風に染まることとなったのだが、日本での保護者面談で「宗教色」などは度外視で受験指導をする塾の先生には「それでいいの?」と思っていた。兄弟が全然違うタイプの学校に通ったら50年後に仲良くいられる確率は少しは下がるのではないだろうか。
 と、多くの人がスルーするところで引っかかるのも、私自身が小学校からキリスト教系の私立に通った所為だと思う。 多かれ少なかれミッションスクールで育った経験は人生に影響したと思っている。
 最近、南加に設けられて29年続く母校の同窓会に出席した。年代も経歴も異なる30人だったが、同じ校訓の下で学んだ者の集まりは 乾杯のグラスが触れ合う音さえウインドチャイムのような美しい音色に聞こえ、心が洗われた気持になる時間だった。学校という集団は家庭の外で子供が一番長く属するコミュニティーだということをあらためて感じた。
 日本のニュースにも疎くなりがちで見逃していたのだが、最近の日本では道徳教育に大きな変革があり、それまで教科外活動として設けられていた週1回の道徳の時間が、18〜19年以降は「教科」となったそうだ。 日本人の道徳観は世界に誇れるものだし特に心配する理由はないのだが、戦前は「修身」という教科の下で国のために喜んで戦争に行く「愛国心」を道徳として教えられていた、と読んだのは少し気になった。【長井智子】

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