広島と長崎から貸し出された被爆の資料や展示品を熱心に見る来場者
 世界で二つしかない被爆都市、広島、長崎両市と全米日系人博物館(JANM)が共催する特別展「きのこ雲の下で―ヒロシマ、ナガサキと原爆」が、同館で開催されている。広島平和記念資料館から提供された被爆者の遺品や在米被爆者の証言を紹介し、被爆の惨状と核兵器廃絶を訴える。

 広島の資料館から貸し出された展示品の紹介は、被爆の実相を伝える写真パネル30点と動員学徒の遺品などの資料20点。それらの中には、2016年に現職の米大統領として初めて広島を訪問したオバマ大統領が折った折り鶴も見られる。

高熱で焼け焦げた瓦や変形したガラス瓶など被爆した展示品
 展示ではまた、日系人アーティストらによる原爆をテーマにした作品が並ぶ。在米被爆者を撮影する活動を続けている日系4世の写真家ダリル・ミホさんのポートレート写真には、語り部として各地の小中高校を回って平和活動に力を注ぎ、国連本部でもスピーチした故据石和さんの元気な姿が写っている。原爆展は6月7日まで催され、被爆資料の展示は3月1日まで。
 開幕前夜にはレセプションが行われ、同館のアン・バロウズ館長があいさつに立った。原爆展について「ヒロシマとナガサキに原爆が投下されて75年目の来年に向け極めて重要なイベントである。核兵器は相手を選ばず命を奪い、生存者は今もなお心身ともに深い傷を負っている。世界の暗い歴史に光を当てていて、歴史の真実を伝える」と語った。
 来米した広島平和記念資料館の滝川卓男館長は「1945年の8月6日と9日にそれぞれ広島と長崎に原爆が落とされ町が壊滅された。人々の日常生活と家々、育んだ習慣、歴史は全て消え失せ、多くの犠牲者が出た」と説明。展示について「被爆者の自分たちのような悲惨な思いを2度とさせてはならないという願いが込められている」と力説した。「展示を通して8月6日に巨大なきのこ雲の下で、何が起こったのかを知り、2度と核兵器を使ってはならないという被爆者の平和の願いを分かってもらいたい」と訴えた。
後方スクリーンに写し出されたきのこ雲の下で被爆した体験を語る更科洵爾さん
 展示初日には、日本政府から非核特使に委嘱された当地在住の被爆者の更科洵爾(じゅんき)さんとハワード・カキタさんが被爆体験を証言した。ともに広島で爆心地から数マイル離れた、まさに「きのこ雲の下で」被爆。町は一面倒れた建物の瓦礫で覆われ、おびただしい数の死体を目にしたといい、子供のころの悲惨な体験を生々しく語った。
 更科さんは「被爆して74年たっても被爆者は苦しんでいる」と強調。「やけどしたい人は誰もいないし、こんな体験を他の誰にもさせたくはない。戦争のない世の中が一番よく、特に核兵器を使った戦争は絶対にいけない」と語気を強めた。平和教育で各地を回って、反核・反戦を叫んでおり、大学での講演が効果があるといい「大学生は国と自分たちの将来のために考えてくれ、われわれの被爆体験を後世に伝えてくれる」と話した。
 ノースリッジに住む海老原洋さんは「広島の資料館に訪館したことがなかったので、今回の原爆展はとてもいい機会だった。展示物や拡大写真などを閲覧したこで、被害の様子や規模の大きさを再認識することができた」と話した。被爆者の体験に耳を傾け「直接聞くことができてとても貴重な体験になった。過去の歴史を風化させてはならず、また被爆者はそう望んでいることがあらためて分かった」と、感銘を受けた様子で語った。
被爆や反核についての展示で協力することを誓い握手するJANMのバロウズ(左)、広島平和記念資料館の滝川両館長
 滝川館長によると、今回と同様の原爆展を今年9月にニューヨーク・ロチェスターで催し、LAでの初めての開催について「米国第2の都市なので、できるだけ多くの人に展示を見て原爆について知ってもらいたかった」と念願だったことを強調。広島からの移民が多い当地との長年の関係を感じるといい「被爆直後の悲惨な状況の中で、カリフォルニアから助けてもらい、多額の寄付で図書館を建設するなど広島との縁がある地で展示できてよかった」と喜んだ。米国人の反応について「広島でこんなことが実際に起きたのは知らなかったという感想が多かったので、開くことができて本当によかった」と述べた。
 両館は日米開戦がなければ、存在しなかったか、活動の趣旨が変わっていたかもしれない。戦争により、日系人は強制収容など不当な扱いを受け、広島では罪のない民間人が被爆し多くの命が奪われた。両館の活動について滝川館長は「共通のコンセプトは、過去にあった事実を後世に継承していくこと。だからこのたびの原爆展でも協力が得られたし、これからも一緒にやっていこうと思っている」と説明した。同原爆展は過去24年間で19カ国、50都市で延べ58回開いており、原爆を投下した当時国での展示について滝川館長は「この惨状の発信をこれからも世界中で開いていくので、アメリカでも他の国でも同じ訴えをしたい」と抱負を述べた。【永田潤、写真も】
日系4世の写真家ダリル・ミホさんの在米被爆者のポートレートを鑑賞する来館者。右から2枚が据石和さん

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