1942年にマンザナ強制収容所に送られた日本人と日系人。武装した兵士が見られる
 全米日系人博物館(JANM)理事長で米国商務長官、運輸長官を歴任したノーマン・ミネタ氏は、ウィスコンシン州で起こされた新型コロナウイルスの感染防止策として発令された自宅待機命令への訴訟で、ブラッドリー判事が第二次大戦中の日系人強制収容に対し連邦最高裁まで争ったコレマツ訴訟の判例を引用したことを不当であると非難している。ミネタ氏は11日、同判事の誤りを指摘する次の声明を出した。

ウィスコンシン州のレベッカ・ブラッドリー判事が引用したコレマツ訴訟の判例比較を非難しているノーマン・ミネタ全米日系人博物館理事長
 全米日系人博物館の目的の一つは、米国における日系人の歴史を保存し共有することである。通常、著名な人々が歴史の一部を引用して議論をしたり、歴史的な類似を示したりすることを、私は同館理事長として喜ばしく聞いている。例えば2001年の米国同時多発テロ事件の後、ジョージ・W・ブッシュ大統領はイスラム教徒やアラブ系米国人に対するプロファイリングに警告を発した。当時、私は運輸長官を務めていた。大統領は第二次世界大戦中、私と私の家族が日本人を祖先に持つ他の大勢の人々とともに、ただ敵と同じような外見をしていることだけを理由に、米政府によって不当に家から追い出され収容所に送られたことを挙げた。これは過去の過ちを決して繰り返さないよう、米国の歴史から厳しい教訓を学ぶことの重要性を示した良い実例の一つだろう。
 しかし、この新型コロナウイルスをめぐる健康危機の最中、ウィスコンシン州での自宅待機命令をめぐる法廷での議論の中で、コレマツ対合衆国訴訟の連邦最高裁での判例が引用されるのを驚きを持って聞いた。コレマツ訴訟の意義も、大統領令9066号が大勢の米国市民に何を行ったのかも全く理解しないで引用されたことにがくぜんとしたのだ。
ノーマン・ミネタ全米日系人博物館理事長が非難するウィスコンシン州のレベッカ・ブラッドリー判事
 この公衆衛生危機の期間、州の衛生法によって生活に必要不可欠な業種以外のビジネスを閉鎖するようウィスコンシン州のトニー・エバーズ州知事が命じたことをめぐって、レベッカ・ブラッドリー判事はコレマツ訴訟に言及し、第二次世界大戦中の日系米国人が置かれた状況を、多くの州が実施している「自宅待機」政策と比較した。これは不当であり言語道断の比較である。
 フレッド・トヨサブロー・コレマツは1942年の西海岸からの強制立ち退き命令に背き、家族が収容されていたタラフォン競馬場へ行くことを拒否した日系米国人である。逮捕後、米国自由人権協会の北カリフォルニア支部のテストケースとなることを承諾し、ミノル・ヤスイ、ゴードン・ヒラバヤシの訴訟と共に最高裁まで争ったものの敗訴し有罪判決を受けた。40年近くがたった後、法史研究者のピーター・アイロン教授らが、米政府が裁判所から証拠を不当に隠していたことを証明する資料を発見し、コラム・ノビスとして知られる法的手続きによって再審が行われ、コレマツ訴訟の判決は覆された。
 ブラッドリー判事によるコレマツ訴訟への言及は無神経であり、侮辱である。自宅待機命令は人種、民族、宗教、経済的地位に関係なく、ほぼ全ての米国人や住人に対し、自身の安全を守るために出されたものである。一方、第二次世界大戦中の米政府による強制立ち退き命令は、日本人を祖先に持つ者だけを対象としていたのである。
 現在、米国人は身体的な接触を避けるために自宅にとどまり、一時的にビジネス活動を中断することを求められているが、日系人・日本人は、武装した兵士らに監視されながら強制的に自宅から追い出されたのだ。多くの場合、彼らはビジネスを放棄するか、実際の価値よりもはるかに低い金額で売却せざるを得なかった。12万人以上の日系人・日本人は自宅待機の代わりに、米西部の最も荒涼とした地域に作られた強制収容所へと送られたのである。法に基づいた適正な手続きはなされず、具体的な容疑がかけられることもなく、何の裁判も開かれることもないまま、第二次世界大戦が終わるまで、事実上無期限に拘束されたのだ。
 強制立ち退きと強制収容は、日系米国人コミュニティーに対し不忠誠という冤罪(えんざい)の汚名を着せた。その汚名が引き起こした屈辱は戦争が終わった後も長く続いた。ずっと後になってコレマツは自身の訴訟の核心をこう話した。「私は『自分がアメリカ人であったのか、それともアメリカ人でなかったのか』を知りたかったのだ」。現在の状況には、コレマツの歴史的な訴訟と一致するものは何もない。
 私たちが置かれている現状の難しさと、それに伴う先行き不透明な経済的苦境の厳しさは軽視できるものではないが、それと第二次世界大戦中の日系アメリカ人の経験を比べるのは不適切で、その比較にはがゆい思いをしている。日系米国人史を引用しようとする時には、それぞれの個人が責任を持ちこの歴史の真の意味を学ぶことを私たち全米日系人博物館は願っている。

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