長いコロナのロックダウンが、ようやく段階的に解除になり、人々は恐る恐る外出するようになった。
久しぶりの車のハンドルは違和感があり、運動感覚も反射神経も鈍ってしまった。たった3カ月の自宅待機なのに、体力も気力も3年分衰えた。さびついた頭と体がギシギシ言っている。
毎年春先には、誰もが、今年こそは、これをしよう、あれをしようと意欲的に計画を立てていたはずだ。コロナはそれをすべて奪った。命を落とされた方も多いことを思えば、健康な者が数カ月を失ったことなど何のことはない。これからの1年余りは、コロナと共存の不自由な日々になるが、生きている我々には、未来がある。
私のなくしたものは、長年計画していた旅行だ。それをついに実行に移す矢先だった。休暇の許可、予約していた飛行機や宿を全部キャンセルした。それを目標に何十年も働いてきたから、楽しみを奪われ、虚脱感に襲われた。長年温めてきた楽しみは、こういう形で奪われるのか、と。反動で、自粛中はPCで旅行サイトを嫌というほどはしごした。地球上のあらゆる土地の映像は、探せば多少なりともあるから、自室で疑似体験できるのはありがたい。
コロナと共存するこれからは、人類が初めて経験する未知の世界だ。ワクチンが開発されれば全て解決するのだろうか、また、違うウイルスが発生するのだろうか。不安は尽きない。全世界の経済がストップした後の損失はどの程度で、回復までどれだけの年月がかかるのか。予測のつかない未来は、文字通り暗中模索だ。その意味で、コロナ社会に生きる我々一人一人が、未知の荒野を歩く旅人そのものである。
人生はよく旅に例えられる。もうこれで安心だ、という地点にやっとたどり着いたと思ったら、もう一つのまさかの坂が目前に現れるのだ。なんという無慈悲な道程だろう。どこまで行っても、安住の地はなく、死ぬまで不安と背中合わせの道。Covid・19パンデミックを経験し、たどり着く先が見えない明日を生きざるを得ない我々は、みな、勇気ある旅人だ。【萩野千鶴子】