オレンジ郡仏教会の「大音太鼓」でたたいたり、日本語学校に通った。バスケットボールを始めたのは10歳だ。最終的にはオレンジコースト・オプティミスト・クラブや4世リーグで活動し、仲間と今日まで続く友情を築いている。「バスケットボールをフープに入れるのを、『これ、楽しい』と思ったことを覚えている」と、思い出を振り返る。「両親はすべての試合に来てくれた。彼らは非常に協力的で、必要なときに私を賞賛し、必要なときに厳しく批評してくれた」。チャップマン大学に進むとキャロル・ジュー監督の下でポイントガードを務め、スポーツ医学の学位も取得した。
2008年からLAFDに勤め、消防57分署配属の消防士として5年働いた。その後、救急医療認定を取得し、すぐに1級検査官に昇進した。LAFDに勤務する以前は、アスレチックトレーナーとして働いていた。また、LAFD男子バスケットボールチームの数少ない女子選手の1人として、バスケットボールも続けている。
7月、小東京はこの火災を最前線で消し止めた消防士たちに和食弁当を届けることで町の感謝を伝えた。小東京の飲食店が協力して、中央派遣センターと地域を管轄する第3、4、9分署の隊員全員に「カリフォルニアロールと真鯛のグリルの昼食弁当」を提供した。参加したレストランは、居酒屋エビス、大政鮨、鮨元、TOTだった。ソノダさんは、彼女の仕事の一部はあらゆる状況に備えて消防士を訓練し、物理的に準備することであると話す。
「私たちが日々抱える重荷はますます大きく、重くなっている。正しい技術で扱わなければけがをする可能性がある。命が懸かっているという気持ちで訓練するしかない。実際、われわれの仕事は命懸けなのだから」