彼女はロサンゼルス小児病院でレベル3の正看護師として働いている。
病院勤務の典型的な12時間のシフトの後でも元気で一見疲れを知らないように見えるロサンゼルス育ちの30歳。臨機応変の「フロートナース」から「ナーシング・エクサレンス」まで、幅広い職務を担当している。ウォンさんは、フロートナースを「ベッドサイドケアから外科腫瘍学、救急科まで幅広いスキルを持つチームの一員」であると説明している。一方、ナーシング・エクサレンスは新しい側面の専門職で、看護師の認識、交換プログラム、マグネット・ドキュメントの作成、看護師の資格認定などの仕事を含む。
ウォンさんの母のジュディ・タニさんも小児病院の看護師だったが、「同じ職業に就くようにとの圧力を感じたことはない」と話す。「でも、高校生にヘルスケアの世界を紹介するCampCHLAのプログラムに参加するようにと勧めたのは母だった。それはすごく良い体験だった。模擬体験を通して看護のさまざまな側面について学ぶことさえできた。そのキャンプの後、私はこれが自分のやりたい仕事だと100パーセント分かった」
新型コロナウイルスのパンデミックの影響について尋ねられて、ウォンさんは、「COVID―19がすべてを変えた」と認める。ベッドサイドケアの持ち場から引き離され、感染検査クリニックと病院司令センターのスタッフを支援するため、別の業務に移らねばならなかった。そこではPPE(個人用保護具)の優先順位付けや、スクリーニング実施の問題などに関する決定が下されていた。
その大変な移動に加え、彼女はマウント・セント・メアリーズ大学で次世代の看護師を教え、「アメリカン・ナース」誌に看護疲労と戦う方法についての記事を書き、ワシントンDCとフロリダで開催された全米国際会議でプレゼンテーションまで行った。それを、「退屈する暇なんてなかった」と振り返る。
しかし、ウォンさんの揺るぎない楽観主義を煽るのは子供たちだ。
「私はいつでも人を助けるのが好きだった。特に子供たち、そして子供たちの介護者やその家族を助けたいと思ってきた。長いシフトの後、一日の終わりに、気持ちはすべて子供たちと彼らの両親に戻る。私に触れた人、新しい診断を受けた人の顔を思い出す。時には彼らが最も暗い日を乗り切るのを手伝わねばならない日もある。誰もいなくなった病室で、彼らと手をつないであげられるのは看護師だけだ」【訳=長井智子】