今年34年目のサーフィンコンテストを主宰する小林正樹さん自身の華麗なサーフィン姿

 この夏の東京五輪はサーフィンが初めてオリンピックスポーツとして競技された記念すべき大会だった。全選手・男女計40人中で4人が日本人、4人が米国人。結果を見ると女子では米のカリッサ・ムーアが金、日本の都筑有夢路が銅、男子は五十嵐カノアが銀を獲得した。五十嵐選手は日本代表として出場したが、南カリフォルニアをホームビーチとしていることはよく知られている。

 3年後のパリ五輪でもサーフィンが採用され、仏領タヒチで競技は行われる。7年後のロサンゼルス五輪での採用は未定というが、USオープン大会を開催するハンティントンビーチや、有名なサンクレメンテのトラッセルズビーチがある南カリフォルニアは世界があこがれるサーフィンのメッカなのだから、当然の期待がかかる。

 さて、オリンピック級に成長したスポーツには必ずその競技人口を支える草の根のプレーヤーたちがいるが、サーフィンの場合、世界のサーフィン人口は3000万とも3500万ともいわれる。その中には南カリフォルニアでの在米生活でサーフィンライフを満喫する日本人や、波を求めて日本からやって来る旅行者がいる。そして、そんな彼らなら誰もが「知っている!」と言うのが、日本人サーファーために開催されている「南加日系サーフィンコンテスト(Southern California Japanese Surfing Contest)」と、このサーフィン大会を1988年から32年間にわたり主催してきたオレンジ郡サンクレメンテ在住の日本人・小林正樹さんの存在だ。

日本人の大会へのこだわり有名ビーチを貸し切りにして

 大会は毎年10月。会場はオレンジ郡とサンディエゴ郡にまたがる州立海浜公園。中でも、特に最高の波を運ぶことで定評のある「トラッセルズ」のチャーチポイントを借り切って行われる。州が管理するこのビーチでイベントを開催できる回数は年にたった6回に限られており、その内の1回のスポットを小林さんが長年守り続けている。これまで30年以上、一貫して子どもから大人まで誰もが参加できるコンテストを開催してきた。そして何より小林さんの大会は「日本語で」開催される点が特にユニークだ。

コンテストは日本人の親睦を目的にトレッセルズで毎年開催されてきた(HPより)

 もちろん、大会参加資格に日本人であることが条件付けられているわけではないが、小林さんは大会の運営やアナウンスを含め日本語で行うことにこだわってきた。それを「日本人の」と言ってしまって語弊がなければ、世界中のサーファーが乗りたい波を日本人のために1日、独占提供してくれていることになる。

 でも、世界有数のサーフィンビーチ「トラッセルズ」を貸し切りにできる既得権を利用して、「大会を商業的に大きくしないか」というような甘い誘いはなかったのだろうか。「もちろん、ありましたよ」と小林さんは言う。「でもそんな話には興味がないんです。日本人の大会ということが重要なんです」。日本人の大会でなければならないというこだわりは、どうしてなのだろうか。

 小林正樹さん。日本の静岡県静岡市生まれ。海に近い町で3人兄弟の末っ子として育ちサーフィンに親しんだ。「1人でも、ビーチに行けば誰かしらがいて言葉を交わしたり波の乗り方を教えてもらえたりという環境だった」。そんな毎日の中で迎えた思春期に、師と仰ぐ先輩から「自分の求める道をまっすぐに生きる」という人生の啓示を受けたという。小林さんは、「この先輩がいたから今の僕がある」と言い切る。そして、「兄が家業を継いでくれたおかげで、自分が自由に道を選ぶことができた」と感謝する。80年代に仕事を通じてカリフォルニアでの暮らしが始まった。20代前半のことだ。

 当時、年上の日本人たちが感謝祭の休みにハンティントンビーチで内輪のサーフィン大会を行っていた。日本人仲間が数人でワイワイやる小さな集まりだったが、それが現在の大会の原型だ。小林さんが参加して3年たった時、会の幹事を小林さんが引き継ぐことに。その際に会場をオレンジ郡南部のトラッセルズに移した。

 今では毎年150人が参加し、参加カテゴリーも子どもからレジェンド世代までと幅が広がった。遠くは北カリフォルニアや州外から、また、日本から大会に合わせて渡米してくる参加者もいる。五十嵐カノア選手ら日本人プロの多くも、子供時代から少なくとも一度はこの大会に出場している。

次男の桂くん(左)と海に向かう小林正樹さん

 小林さんの米国生まれの2人の子どもたちはバイリンガル。次男の桂くんはプロサーファーとして現在、世界各地を転戦している。それでも日本を重視するのは、仲間が1年に1度、親睦のために集まるという趣旨を忠実に守るからだ。英語の大会なら他にもある。「ジャパニーズサーフィンコンテストは異国の地に住む日本人同士の親睦を深めることが目的です」と小林さんは強調する。

 日本人のつながりの場であることが大切で、従って拡大化や商業化は的外れなのだ。

日本人サーファーのコミュニティー 小林さんの存在と大会の意味は?

 小林さんは普段から毎朝トラッセルズでサーフィンする日課を欠かさないが、このビーチには他にも、同じように毎日(あるいはできる限り毎日)、海に入りに来る日本人が何人もいる。彼らにとって、日本人サーフィン大会の意義、小林さんという人の存在は何を意味するのか。

 アーバインに住む会社員の大久保慎二さんは在米21年、サーフィン歴は30年。「かれこれ何年も大会に出させてもらっている。この大会の意義は二つ。一つは大会があることでもっとうまくなろう、もっとがんばろうと思えること。もう一つは1年に1度、サーフィンをする日本人が集まりみんなに会える機会を提供してくれていること」。そう話す大久保さんは、夜明けと共にアーバインから車を南に走らせてトラッセルズでサーフィンをして、いったん帰宅後に今度は北のロングビーチにある会社に出勤するという毎日を送っている。

 コスタメサで日本食店SUSHITERIを経営する宮田圭三さんはサーフィン歴30年。宮田さんも週に2〜3回は早朝にトラッセルズで海に入る。7時半に海から上がり、それから1日が始まるという。「サーフィンというのは一人一人でアプローチも違うし、サーフィンを通じて得られる心地よさも人それぞれで別々なんです。大会はそういう人と人がとつながるという点で重要だし、僕は毎年楽しんでいる。勝ちたいという向上心もあります」

 また、小林さんを知る人は誰もが、小林さんの明るくポジティブな性格、サーフィンへの情熱、大会を継続するエネルギーを称賛する。「遠くからでも見掛けると、いつでも気さくに声を掛けてくれます」という声をよく聞く。また、トラッセルズを知り尽くす小林さんは若いサーファーにとっては一種神格化された存在でもあるようで「今日、小林さんに声を掛けてもらった」とうれしそうに話す声を聞いたことがある。

大会を励みにに日々サーフィン(HPより)

 サンディエゴ郡北部に住む岡田卓郎さんも早朝のトラッセルズの常連の一人。在米26年、サーフィン歴37年。日系大手食品会社の米国代表を長年務め、現在サンデリックフーズに勤務。社長職の激務の時も時間を惜しまずサーフィンをしていたが、定年退職をきっかけに海に近いカールズバッドに住まいを移してからは毎朝のトラッセルズをエンジョイしている。「小林正樹さんとは10年来の知り合い」と言う岡田さんは、小林さんについて「サーフィンはもちろん抜群にうまくて、とてもかっこいいのですが、中身もとてもナイスガイ。家族、友人思いで、いつもニコニコしていて、考えが前向きなので、僕は小林さんと話すといつも元気付けられます。自分と同世代なので、健康やけがに気を付けながらお互いにいつまでも元気でサーフィンをしたいと願っています」と述べた。

 なるほど、サーフィンは波と向き合い自分を磨く個人的なスポーツだが、大会があることで家族や友人に自分のサーフィンする姿を見てもらえ、家族ぐるみで親睦が図れる。長年の日本人大会が日系のサーフィン・コミュニティーをつなげているという姿が徐々に浮かび上がってきた。そして、その中心にある小林さんの発するバイブが、トラッセルズのサーファーたちからいかに愛されているかが分かってきた。

帰ってくるサーフィン大会 パンデミックを乗り越え再開

 小林さんと妻の恵美子さんは遠方や日本から訪れるサーファーをホームステイで預かり、アスリートの育成にも手を貸している。空港・ビーチへの送迎から食事の提供まで、ホームステイはホストマザー役の恵美子さんの貢献がなければ成り立たない。今年の五輪に日本代表として出場した日本を拠点とする選手(大原洋人、前田マヒナ、都築有夢路)は「3人ともわが家で預かったことのある子どもたち。アムロの銅メダルはわが子のことのようにうれしい」と恵美子さんは顔をほころばす。家族全員がサーフィンでつながるライフスタイルがそこにある。

大会は出場者の家族も共に過ごす大切な時間。応援に来た出場者の家族と写真に納まる小林正樹さん(左から2番目)と妻の恵美子さん(左端)

 パンデミックが始まった昨年、春にいち早くロックダウンしたカリフォルニアではビーチも閉鎖され、サーファーが海に入れないという前代未聞の事態が起きた。1カ月ほどで閉鎖は解けたものの小林さんは8月、新型コロナウイルスまん延のために33年目となる2020年の大会が開催できないことを関係者に告げねばならなかった。だが、今年はある。今年は北米最大の日系サーフィンコンテストが帰ってくる。

 2021年日系サーフィンコンテストは10月3日(日)の開催が決定し、大会エントリーを開始した。日系のサーファーたちは「やっと普通の年に戻れたこと」の喜びをかみ締めながら、あらためて小林さんの存在の意義を感ずることだろう。小林さんと家族が32年培った日系サーフィンコミュニティーをつなぐ大会。それは「継続は力」という言葉を思い起こさせる。小林さんはさらに、「今後は大会を続けるだけでなく、トラッセルズの環境を守っていくことにも力を注ぎたい」と、これからについて話している。

 トラッセルズの波に代表される自然環境も、現況維持に努力を注ぎ災厄時には復活の原動力となるコミュニティーを育てていかない限り、いとも簡単になくなってしまう危険を秘めている。私たちがコロナ禍で学んだことの一つは、それまでそこにあったものは決して当たり前にそこにあったものではないということ。小林さんのインタビューを終えて、あらためてそれを感じた。

 日系サーフィンコミュニティーを祝うコンテストへの参加申し込みはウェブサイト—http://bit.ly/cjpsurf21fb

詳細問い合わせはメール—cajpsurfcontest@gmail.com

【長井智子】

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