2020年はコロナに始まり、東京五輪は1年の延期を余儀なくされた。その間にわれわれはさまざまなドラマと葛藤を目撃するわけだが、その多くは利権問題、主催国日本における責任者たちの辞任と辞退の連続劇で、五輪のシンボルが示すテーマ「世界」(5大大陸の連結)とは程遠い内容になってしまった印象が強い。もちろん、それらを引き起こした要因にパンデミックが加担したことも紛れもない事実である。ただ、今回の五輪は無観客だったことも手伝って、主役の座は、アスリートたちと言うより、五輪を取り巻くさまざまなものたちだったように思う。その中で世界は聖火リレーを通して、次の五輪へ、どんなメッセージをタスキに託すことができたのだろう。

 また、2016年から15年かけて国連が推奨するSDGs、それは、17個のSustainable Development Goals(持続可能な開発目標)を意味するが、五輪に持続性を求めるのであれば、それらのゴールは少なからず関連性があるもので、貧困、健康、教育、平等、環境安全、技術、平等、エネルギーなど、どれも必要だと考えられる。その持続可能な社会作りをスポーツという観点から掘り下げたいと思う。【河野 洋】

 五輪、サステナビリティーについて、日本大学文理学部、野口智博教授に話を聞いた。野口氏は、現役時代に水泳選手として五輪を目指し、後に日本大学水泳部総合コーチ、シドニー、アテネ、北京の一連の五輪では解説者として、また現在もスポーツ指導者養成、体育教員養成に関わる水泳界でも権威ある立場の人物だ。

ビスマークで開催されたパラスイマーの大会に同行し選手をストレッチする野口氏=2015年12月

 「スポーツの言葉の語源を探れば、もともと日常からかけ離れたところで、勝敗、速さ、人間の楽しみを作っていくものでしたが、広告効果市場原理が働くビジネスが導入されたことによって、五輪はさまざまな人たちの都合で動くものになってしまいました」と野口氏は語る。その言葉を裏付けるように、米国メダリストの活躍が期待できる水泳競技が日本の早朝に行われる理由は、放映権を一番多く払っているNBCが自国のゴールデンタイムに放送するためという。スポーツの祭典がまさに視聴率を稼ぐコンテンツとなっている事例だろう。

 しかし、それらを先導する米国は、社会とスポーツ界が協力してアスリート育成のシステムや環境を実に論理的に作っていて、それは日本が逆立ちしても追い付けないところでもある。最近の兆候に見られる日本人選手が米国に活路を見出す理由は、その充実した環境にある。米国の大学は日本に比べ、道具の面、練習環境、トレーニングルームが充実していることもあるが、さらに言えば、実技もアカデミックなことも教えられ、事故が起きて裁判されてもテクニカルに対応できる、プロの医学療法師が、どの大学にも先生として2、3人は常駐しており、あらゆる面で日本との差をつけている。米国では事故が起きて裁判になれば多額の損出を生み出してしまう。それを未然に防ぐための先行投資として専任講師が存在している。実に合理的なシステムがそこにある。

2016年のリオオデジャネイロ・パラリンピックの会場で、指導していた木村敬一選手がメダルを取り喜ぶ野口氏と日本選手団の面々

 「米国を100とするなら、日本は10くらいしか、(アスリートへの)サポートが充実していません。日本は、指導者や先生絶対主義の理念と、高校野球などに見られる根性論が根を下ろし、日本のプロ野球の練習時間を見ても、メジャーリーグと比べ倍くらい長いという事実もあります。また、全米大学スポーツ協会(NCAA)では1週間20時間を上限としてチーム練習を行い、過度の練習を防いでいます。米国の合理的な考え方やシステムは、スポーツ選手が長い期間活動できるためのサステナビリティーに直結していると言えるのです」

 スポーツにおいて持続可能な環境を作ることは、選手生命を伸ばし、より良い社会作りへの貢献にもつながる。では、環境が整えば持続性は維持できるのか?

 「今回、国際五輪委員会に感心したことがあります。それは、スケートボードやサーフィンを採用したことです。13歳の女の子がスケボーを楽しみながら金メダルを取ってしまう。昔ながらの価値観を一掃できる種目を加えたことは、長い間、思考停止になっていた関係者に喝を入れたと思います。きついことは長く続けられないけれど、楽しいことは持続できる、そこに立ち返らないといけないのだと思います。そしてサーフィンのようにライバルや自分との戦いだけではなく、海という自然環境とも戦うというのも、サステナブルの最たるものと言えるでしょう」

松坂龍馬氏 持続可能な社会を人種を超えた駅伝で

 ニューヨークでは一般市民レベルで、日本発祥の駅伝スポーツを通して持続可能な社会作りに取り組んだ人物がいる。埼玉県出身の松坂龍馬氏は役者として2014年にニューヨークへ移住、パンデミック直後には「The Japanese Artist Project」を立ち上げ、NY在住の日本人アーティストを集めて「上を向いて歩こう」の動画をYoutubeで公開。わずか6日で10万回の再生を記録した。その彼が、2021年5月9日、人種、性別、年齢、職業それぞれ全く違うニューヨーカー6人が42.195キロをタスキで つないで走る駅伝プロジェクトを実施した。

 午前7時半、ブルックリンのグランドアーミープラザを出発したランナーはタスキをリレーしながらブルックリン橋をわたり、セントラルパークを一周し、マンハッタン南端部にあるバッテリーパークに設けられた最終地点にゴールした。最終ランナーは松坂龍馬氏本人で、スタートからゴールまで3時間40分の駅伝リレーだった。

 そして、その様子を撮影したドキュメンタリー映画を、松坂氏は、現在ディレクターの安住春菜氏と制作中で、今年の夏には完成予定という。

 「駅伝のコンセプトは、団結(UNITE)でした。もともと走るのは嫌いでしたが、20年ぶりくらいに走ってみたら気持ち良かったんです。そしてコロナ渦中、軽いノリで、米国で全然知られていない駅伝をニューヨークで開催するアイデアを思いつきました」

マンハッタンに向かってブルックリン橋をわたるランナーと並走者

 また、直接大きな被害を受けたことはないものの、松坂氏にとって、2020年は、BLACK LIVES MATTERやアジア系へのヘイトクライムといった人種差別問題を深く考えさせられる1年でもあった。本人が、香港人の父と日本人の母の間に生まれたことから、「放っておけない問題」だったこともある。だからこそ、表現者として人種に関わる作品を作りたい、そんな思いが駅伝プロジェクトとそのドキュメンタリー映画の制作へ導いた。「駅伝イベントだけでは、身内を集める程度のもので終わってしまいます。だから、このイベントを記録して映画として、より多くの人に届けることが大切だと思ったのです」

 同年12月の開催を目指したものの、ソーシャルメディアを駆使しても、友人知人に声を掛けても返事すらないことが多く、参加者が全く集まらずランナー探しは難航した。しかし、駅伝がゴールに向かって一歩踏み出すことから始まるように、根気よく1人ずつランナーを探し、男性、女性、白人、黒人、アジア人、職業も異なる6人を最後には見つけた。さらに、そのランナーたちが途中で棄権した時のために、彼らと一緒に走るサポートランナーたち、安全を確認し、ランナーたちを誘導する先導者たち、撮影チームもプロジェクトに加わった。

マンハッタンのオフィス街を走り抜ける駅伝ランナー

 「個人競技と異なり駅伝は1人でも欠けるとゴールできません。だから今回僕が表現したかった「団結」が、みんなを突き動かしてくれたと思います。そして、もう一つ重要なことは、6人のランナーが走る前に、それぞれの思いをタスキに書き込んだことです。メッセージを伝えることと同様に、メッセージを受け取ることも重要なポイントでした」

 タスキのメッセージの一つに「誰も、このレースを1人で完走することはできません。人生の象徴です。私たちは力を合わせて取り組まないといけない」と書かれてあるが、この思いを異人種のランナーに渡すためには、人種の壁を壊さなければ信頼関係がなければ成立しない。つまり、タスキを渡し、一つのゴールを協力し合って達成するという行為には、エバーグリーンの原点があるのではないだろうか。

セントラルパークに沿って走るランナー

 歴史を語り継ぐ、伝統を受け継ぐ、メッセージを届ける。そうした行為を大切にするためには、また、われわれが生きているサステナブルな環境を維持していくためには、自分が嫌だと思うことや醜い部分も含めて受け入れることが前提になる。そういう部分も含めて相手を認め、相手を信頼できなければ、タスキを渡すことも受け取ることもできない。

 「これは僕の師匠の言葉なのですが、真実から目を背けないこと、嫌なことから逃げないことが大切だと教わりました。そして、それができるようになった時、僕たちはタスキを次の人に渡す勇気と信頼する強さが持てると思うのです。最初は抵抗があるかもしれない、でもひも解くように相手を受け入れていくことが解決につながるのだと信じています」

マンハッタンの先端にあるバッテリーパークに設けられた最終地点に両手を上げてゴールする松坂氏

 この駅伝プロジェクトを通して、松坂氏は、ランナーのみんなと新しいコミュニティーを作り上げた。「走る」という共通のアクションを通して、一つのゴールに向かって他者と協力し合えたことで、同じ価値観を共有でき、みんなとの絆を生み出したのだ。

 五輪やスポーツに限らず、団体の一員として共通のゴールを目指すことは、人間として一つの義務なのではないのだろうか。あなたが6人のランナーの1人だったら、受け取った大切なタスキ(メッセージ)を次のランナーに届けるために、あなたは走り続けることができるだろうか。自分の走れなくなった時のことまで考えて、サポートランナーを見つけて共に走ることができるだろうか。受け取った思いを大切にする優しさ、それを守りながら、次の人に届ける強さ、そして、それを全うするための環境を日々整えること、それこそがわれわれ全員に必要なエバーグリーンの意識なのだと思う。そして、何よりも大切なのは、タスキに託すあなた自身の言葉を持つこと。五輪は閉幕したけれど、あなたの五輪は今日も開催される。

駅伝リレーのドキュメンタリー映画を製作中の松坂氏

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