
ロサンゼルスでは、ほとんどの食品スーパーのテイクアウトコーナーに、すしが置かれている。「日本食=すし」のように思われがちではあるが、それだけ日本食が米国、特にロサンゼルスやニューヨークなどの大都市では定着している証拠である。和食店を見ると日本からの海外出店も多い。
そんな中、2020年、新型コロナウイルスにより飲食業界は世界的に大きな打撃を受けた。全米レストラン協会によると米国の飲食業界は同年に2400億ドルの売り上げ減少、11万店が閉店したという。
ロサンゼルスは全米でも早期にロックダウンが決まり、飲食店は即日店内飲食禁止。事実上営業停止になったようなものだ。しかし業界ではSNSなどを通じて連日、飲食店はどうしたらこの状況から生き残れるかと熱く討論されていた。多くの飲食店は安全に家庭でレストランの味を楽しんでもらおうとテイクアウトに移行した。カジュアルな店はもちろん、これまでならテイクアウトなど考えられないミシュランスターのレストランが提供するコースメニューのような手のかかったものまで、さまざまな形態のテイクアウトが見られた。中にはトラックを改造して「釜焼ピザを家の前でお届けします」、紙袋に入ったサンドイッチを「アパートの2階からロープで下ろして渡します」など、米国ならではのアイディア系もたくさん生まれた。これらはSNSなどを通して拡散され、人気となった。
テイクアウトに不向きな日本食
弁当文化があるのになぜ?

ところがロサンゼルスの日本食業界は、言語の壁やSNSが苦手という状況などから多少乗り遅れているように見えた。ロサンゼルス市内の日本食レストランの多くは職人の経営するすし屋、もしくはラーメン屋が多く、品質管理などの理由から元々テイクアウトを行っていた店は少なく、即テイクアウトへ移行する店は多くなかった。客足がないとなるとレストランへ食材を納入する魚屋などの卸業にも大きな打撃となった。特に新鮮さが売りの日系魚卸業などは売り上げが急減。日本食業界に暗い影が落ちかけた。
世の中には「テイクアウトでレストランをサポートしよう」という動きが出ておりデリバリーのアプリとSNSのアプリがいち早く連携した。テイクアウトをほとんどしていなかった日本食レストランもそれに乗ろうとしたが、先が見えない状況の中、テイクアウトといっても弁当を再考するのではなく、メニューにあるものをテイクアウトボックスに詰めて売るだけの在庫処理のような現実的対策をする店が多かった。英語にもなっている「Bento」であるが、クリエイティブな発想をするのは大変なようだった。だだが、中には独自の発想で「日本」を米国の一般家庭の食卓へ送ることに成功した店がある。

ウッドランドヒルズにある2018年にオープンした「The Brothers Sushi」は日本の伝統とカリフォルニアを融合した、地元に密着したレストランである。オーナーシェフのマーク・オクダ氏は幼少の頃に家族と食べた手巻きずしをテイクアウトで始めた。「自分で巻いて食べるというすしのスタイルが米国人に受けるかどうか分からなかったが」とオクダ氏は語るが、日本人にとって当たり前でも米国には新しいスタイルの日本食は、コロナ禍で大ヒット。インフルエンサーが手巻きの楽しみ方を動画で投稿し「家で楽しめる新しいすし」と紹介し、すしは出来上がっているものを食べる、という米国での常識を覆した。ロサンゼルスを中心に活躍するブロガーのジェシー・イバンさんは「コロナ禍で初めて家で手巻きというコンセプトを知った。おいしいという当たり前の理由以外に、こういう時期に人と『一緒にできることって貴重。インタラクティブに友達や家族と楽しめるというところが魅力的だと思った。そして自らやることで日本食がとても身近に感じられた」と語る。フォロワーたちからも「それは何?」「どこで買えるのか?」「どうやればいいのか?」などと

たくさんのメッセージが届いたという。弁当の枠を超えた考え方、原点に戻って日本の当たり前を新しい形でプレゼンテーションした成功例である。
また、アーケディアにある居酒屋「とんちんかん」では普段食後に出しているアイスクリームや、人気のホームメード豆腐を、店のオリジナル商品として売り出した。人気があるがテイクアウトとして難易度の高い商品を家でも楽しんでもらおうという試みは、顧客から人気を得た。さらに地元の卸魚屋と提携し、通常はレストランのみへ卸されていた高級魚貝類を一般へ提供するという、「お客さんも喜び同業者も助かる」WIN・WINの環境が作られた。また同店は「苦手だったSNSをお客さんとのつながり、日々のメニュー、スペシャルのアップデートというゲーム感覚で使い始めたところ、その楽しさも分かってきた」と話している。両店共にこれまでの弁当やテイクアウトという枠にとらわれず、「何が必要か、何が楽しんでもらえるか」、という視点から生まれたアイディアの成功例である。
ちらしずしが人気を博す
定番メニューに注目集まる

コロナ禍、人気が出たのはアイデア商品だけでなく、すし屋の定番「ちらしずし」にも注目が集まった。ちらしと言ってもひと昔前、ひな祭りの日にいただいた椎茸やかんぴょうの入った地味なちらしずしではなく、バラちらしや海鮮丼に近い華やかなネタが乗ったものが、職を失ったすし職人や、プライベートシェフたちによって提供され、SNSを通して人気が出た。LAタイムズの記事にもなったほどだ。職人による手の込んだバラちらしの美しさによって人気が出たが、一見簡単に見えるこのすしのスタイルは、職を失ったレストランスタッフが個人的にデリバリーやピックアップを始めるきっかけともなった。中には日本料理の技術のない人が見よう見まねで作った「ちらしもどき」など見た目だけで職人技に欠けるものもあったが、一般からしたら魚の切り方やシャリの質までに気付く人はおらず、適当な「日本料理」をメディアが絶賛したりして人気が高まった。
高級志向が受け入れらる
苦労と工夫を重ねた日本食

日本の食文化がきちんとした技術と共に米国で生き残るためには何が必要なのであろうか。考えてみれば、今、全世界で人気のある日本食の代表ともいえるすしを語るにあたっても、本物の日本料理とは呼べないカリフォルニアロール無しには語れない。カリフォルニアロールの誕生場所には諸説あるがカリフォルニアが名前にあり、中心になる素材のアボカドがカリフォルニアの名産であることからロサンゼルス発祥説が一番有力であろう。1960年代後半、日系人の多いロサンゼルス、リトル東京地区のすしバーで、マグロが手に入らない時期に食感が似たアボカドをカニ、キュウリと一緒に巻いたというのがその説である。今では多くの場所でカニの代わりにカニかまぼこが使われているが、当時はまだカニかまぼこは流通していなかったため本物のカニが使われていたようだ。日本で出される普通の巻物のようにのりで巻かれていたが、のりに慣れていない現地の人がのりをむいて食べているのをすし職人たちが見て、裏巻きにして提供し始めたのが、インサイドアウトロールのスタイルのきっかけともなった。今日海外でもてはやされ、日本観光の目的の一つでもある日本料理は、短い海外での歴史の中苦労、工夫を重ねた昔の職人たちの努力があった今だからこそ本物志向の日本料理も受け入れられるようになったのであろう。結果、今日海外での「日本料理」に健康、職人、高品質などの好印象が付いて魅力的なものとなった。それを利用して形だけの日本料理、とうたわれるものがビジネスとして出てきてしまうのも、致し方がないのかもしれない。
全米注目の食文化の中心の一つ
日本食人気が続くロサンゼルス

パンデミック中、ロサンゼルスには本物志向のすし屋が次々とオープンした。それまではカジュアルで巻物などが中心の安価な店が多かったが、おまかせが200ドル以上の高級店が何店も開店し、それぞれ人気で予約は数カ月先までいっぱいであったりする。その中の一店、カジュアルなリトル東京にシックなたたずまいの店「鮨かね嘉」は20年9月にテイクアウトでオープンし、その見栄えのいいすし折りと質の高さですぐに人気が出た。その後21年春に店内飲食も開始した。同店のエグゼクティブシェフはロサンゼルスの高級すし店で働いていたすし職人の井上嘉之氏。本物が求められる環境は「原点に戻っているのでは」と言う。「昔の方々が作って来てくれた環境やソーシャルメディアや映画などですしが魅力的に取り上げられた今だからきちんとした店がが受け入れられている」と米国での日本食の現在について語る。目指す店は「堅苦しくなく、伝統的なすしを出し、日本文化をきちんと伝えられるお店にしたかった」と述べる。「伝統的とはいえ、今のすしは江戸時代のものとは形も味も大分変わって来ているし、それが現代に受け入れられるとは限らない、今はレストランで食事をするというと一種の経験でもあるから、おいしく楽しんで帰っていただける環境を作りたい」と店のスタイルを語る。

英語の表現に「Standing on the shoulder of giants」という言い回しがある。先人たちが努力して築き上げたものを利用するという意味である。今、海外での日本食文化は曲がり角に来ているのではないかと思われる。技術やサービスの発達により今まで流通ができなかった素材が世界中どこでも手に入るようになったり、職人たちのアイデアが自由に表現できる環境があったりと、状況は昔と変わってきている。日本の素晴らしいものをそのまま持ってくればよい、というものではない。だからといって応用ばかりで本質を見失ってしまっては本末転倒である。ロサンゼルスは米国本土では一番日本に近い場所であり、全米が注目する食文化の中心の町の一つである。人気が続く日本食は、この町でこの先も変化を続け発展していく。