2月は私と父の誕生月です。89歳を迎え、少しずつ体力と記憶を失いつつある父の顔を見るために故郷に向かいました。母が車で迎えに来る度に、助手席には父が黙って乗っています。運転を仕事としていた父をどのように説得したのかはわかりませんが、方角も注意力も失うことが多くなったため、母は父が運転をすることをやめさせました。そしていろいろな所に連れて行くのもリハビリだと言って、父を方々に車で連れ回っているのです。
 そして近くの温泉施設に連れて行ってくれます。そんな時の私は父の入浴の世話係となります。危なげな足取りで手すりに捕まりながらゆっくりと歩き、洗い場に座るのを見守ります。そして横に座り、ころ合いを見計らって背中を流してあげると、いつも無口で厳しい父の顔がほころぶのです。
 父の背中は所々にシミがあり、苦労人生を物語る哀愁のある背中ですが、私自身も受け継いだがっちりとした骨格がありました。
 せっけんを付けたタオルで首から背中全体を丁寧に擦ると、皮膚に赤みが増してきたので、お湯で流しました。そしてゆっくりと湯舟に体を浮かばせると、『仕事はうまくいっているのか?』と唐突に父が訊ねました。自分の仕事がうまくいっていると思ったことも、満足をしたこともなかったので、ネガティブな言葉を探していましたが、一瞬迷って、「うん。うまくいっているよ」と答えていました。家族のために働き続けた父を心配させたくなかったのかもしれません。
 私は共働きの両親をずっと見てきたせいか、早くから独立心が強く、高校卒業後は、親からの仕送りを拒否し、東京での大学費用と生活費を奨学金とアルバイトで賄っていましたから、両親は私に何も言うことがありませんでした。
 今、自分が親になって考えると、それは何て残酷なのだと思えてきました。親から口を出させない子はそれで満足かもしれませんが、子に口を出せない親は、何のために苦労して働くのか、それこそ何のために生きるのかを考えさせられたのではないか、と思ったからです。そんなことを、故郷に戻って父の背中を流す度に思い出すのです。【朝倉巨瑞】

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