10月10日NHKテレビで、54年前の1964年10月10日、東京五輪の開会式で起った誰も予期しなかった出来事を懐古した。
 参加94カ国7千人の選手団が堂々の入場行進、国立競技場いっぱいに整列した。最後に赤いブレザーの日本選手団が現れ行進、大歓呼だった。そしてハイライトが聖火リレー最終ランナー、19歳の坂井吉則陸上選手(4年前に69歳で他界)が競技場に姿を現し半周を始めた時に事件が起った。当時僕は大学4年、TVを見ていた。半世紀以上も昔だがかすかに記憶が甦る。
 突然、整列していた各国選手たちが群衆となり一斉に聖火ランナーに向ってトラック際に押し寄せた。日本選手団は整列したまま。日本の役員たちは式進行が1分でも狂ったら大変と驚愕したらしい。今回NHKは隊列の中程だったアルゼンチンを訪れ生存する元選手を探し当て取材した。その生の話を見た。
 今73歳、当時19歳の女性陸上選手マリアさん。当時の写真を大事に取ってある。聖火ランナーが入って来るという放送があり夢中で駆け寄った理由は「聖火ランナーの坂井さんが広島での原爆投下のわずか1時間半後に生まれたと聞いていたからだ」と言う。「日本人にとって悲劇の中で生まれ生き残った一人だとわかって感動した」
 当時20歳の男性サッカー代表選手だったマレオ・ホセさん74歳。人垣の最前列で撮った今はセピア色に変色した写真を大切に残していた。「私はこの群衆最前列にいた」と写真を指差す。「外国人の選手にとって感動的だった。あんなひどい時に生まれて、五輪の舞台で聖火ランナーとして走っている瞬間を記憶にとどめたかった」無我夢中で撮影したホセさんはあの日見た光景は「今でも人生の大切な1ページ」と言う。「各国選手群の中で皆言葉は通じないが聖火ランナーへの気持ちは同じで、譲り合って撮影した。自分の人生の中でこの美しい瞬間は思い出すたびに感動する」と胸に手を当て思い出すように語っていた。
 戦後まだ19年、戦禍の廃墟から復興と経済成長を遂げ史上初のアジアでの五輪開催にこぎ着けた日本。感慨深い五輪だった。広島と結び聖火ランナーを見ていた外国選手たち。見ていて僕は自然に涙が流れた。録画を再生して見たこの放送。消さずに取ってある。【半田俊夫】

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