寝耳に水だった。
日本滞在中の5月にシアトルから届いたのは、これまで40年以上高齢者ケアにあたってきた非営利団体敬老ノースウエストがシアトル敬老リハビリテーション・アンド・ケア・センターを年内で閉鎖するというニュースだった。
今年2月は敬老ノースウエストが催したオークションで40万ドル以上が集まるのを目撃し、4月には、成田に向かう2日前にシアトル敬老ボランティア感謝昼食会に出席したばかり。信じられない思いだった。
今月シアトルに戻ると、ボランティアにあてた手紙が自宅に届いていた。それによると、これまでの運営赤字が累積していることに加え今秋から施行される新規則では経費がこれ以上に増大することなどが記され、敬老ノースウエスト存続のためにはシアトル敬老閉鎖やむなしの結論に至ったという。アシスティッドリビングの日系マナーと、同所で催されている高齢者デイケアの心会は存続の方向ともあった。
シアトル敬老は1976年、高齢の親を案じる日系二世たちが中心となって発足した一世コンサーンズ(現・敬老ノースウエスト)が、ベッド数63のナーシングホームを買い取って運用開始。1987年には旧日本人町の一画に150ベッドの建物を新築して移転した。地元日系コミュニティーからは多くの寄付とボランティアとしての手伝いがあり、時には留学生や駐在員家族も参加。日本人町という核を失ったシアトルでは唯一、日系コミュニティーの力の結集を実感できる場となっていた。
かつてわが家では、高校生となった子供たちがボランティアとして通った。私も退職後はボランティアの仲間入りをし、近頃は週1回、ボウリング・プログラムの手伝いとしてピンを並べたりストライクに歓声をあげたりしていた。将来は自分も世話になるのだろうと漠然と思いながらだったが、その可能性は消えた。
現在、入居者も勤務する人も新しい受け入れ先を探して去りつつある。ワシントン州では昨年、13のナーシングホームが閉鎖されたという。生き残る施設とそうでない施設は一体どこで道が分かれたのだろう。【楠瀬明子】