LAから東海岸のワシントンDCまで約一週間出張し、いくつかの博物館や美術館を視察した。
 スミソニアン国立宇宙博物館では、アポロ11号のアームストロング船長が月面着陸で着用した宇宙服や本物のイーグル号を見ることができ大変感動した。しかしこれは2号で実際には月面着陸には使ったものではない。後で調べて分かったが、1970年の大阪万博でも展示された同じものとのこと。自分はそこでも見た覚えがあるので、約50年ぶりに再会したわけだ。
 数年前にオープンした国立アフリカン・アメリカン歴史文化博物館にも是非足を運びたかったが大混雑と聞き諦めた。
 国立公園で芝生と庭園、美術館、博物館に囲まれたナショナル・モールと呼ばれる界隈一帯にスミソニアンと名づくものが数多くある。高貴で教養のあるカッコイイ響きの名前とは知っていたが、そもそもどんな人物なのだろうか?と調べてみた。
 創始者のジェームズ・スミソン(*スミソニアンではない)から話が始まる。今から254年前の1765年にフランスのパリで生まれ、10歳の頃に、イギリスに帰化した。母方の家系が貴族で裕福だったが、鉱物学や化学分野の研究をし続け、自ら化学者、科学者として定評を得た。未婚で人生をほぼヨーロッパで過ごし、1829年、イタリアのジェノバで死没。全遺産を甥に残したが、その後の跡継ぎがなく死没した場合、残されたお金はアメリカ合衆国に遺贈し、英知の向上と普及のため『スミソニアン・インスティテュート』として、ワシントンに築くという遺書に基づき、法的な争いを経て1846年に設立された。
 語尾に〇〇ianを付けると「人」を表す表現なので「スミソン人」を意味するのだろうか?
 一番気になっていたことがある。まさか、いややっぱりそうだった。彼はアメリカの国には一度も訪れたことはなかったのだった。しかし、その後ジェノバで埋葬された亡骸を掘り出し、このワシントンDCのスミソニアンに運び込まれて安置してある。現在20もの美術館・博物館から成り立っている。スミソン氏はさぞかしこの功績に驚いていることだろう。【長土居政史】

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