スモッグが去ってからどのくらい経っただろうか。澄み切った青空。3月の日がまぶしい。毎朝、2匹の愛犬と散歩する。変わったのは空だけではない。行き交う人もすっかり変わってしまった。
マスクで顔を覆い、数メートル前からこちらを避けて通り過ぎる。1年前には、「Good morning」とか「Hi」と手を挙げてあいさつしていたアメリカ人は知らん顔で通り過ぎていく。
留学した当初、知り合いになったばかりの女性に再会すると、ハグされて戸惑ったことがある。「福翁自伝」に、福沢諭吉が桑港(サンフランシスコ)に着き、泊まったホテルのホールで男女が抱き合って踊っているのを見て、がくぜんとしたとある。あれにも似た体験だった。
ところが今や、アメリカ人はハグどころか、握手すらしなくなってしまった。アメリカ人特有のスマイルが消えてしまった。グラント・ウッドの「アメリカン・ゴチック」(1930年作品)に描かれたアイオワ州の農家の夫婦はニコリともしない。男性はカラーレスの白いシャツに黒いジャケット、右手にすきを握りしめている。女性はダークプリントのエプロン、カメオのブローチが印象的だ。2人は白い家をバックに直立不動で立っている。パンデミックでスマイルが消えたアメリカ人は、この夫婦のようになってしまうのだろうか。コロナウィルスは、確実にアメリカ人のライフスタイルを変えてしまっている。
3カ月前に手術をした。しばらくつえを突いて歩いていた。歩道を歩いていると、向こうから近づいてきた人は必ず道を譲ってくれる。マスクをしているからほとんど顔は見えない。ほぼ同じ時間に同じルートを歩いているから向こうはこちらがアジア人だとは見当がつくのだろう。ある朝、つえを使わずに歩き始めた。濃いグリーンのフードを被った、グリーンのマスクの、それほど若くはなさそうなヨーロッパ系の女性が近づいてきた。通り過ぎる瞬間、女性は弾けるような声で叫んだ。「No cane!」(もう、つえは突かないのね)「Congratulation!」(おめでとう)。マスクの目が笑っている。とっさだったから「Thank you!」と応じるのが精一杯だった。アメリカ人の陽気さ、気さくさを久しぶりに感じた。嬉しかった。アメリカン・スマイル健在なり、だった。【高濱 賛】