1907年にユタ州で鉄道建設に従事した日系移民

 日系米国人の歴史の中で一時は29紙あった在米者向けコミュニティー新聞は、現在、6紙にまで減ってしまった。来月に初上映されるゼントク財団プロジェクト製作のドキュメンタリー「Paper Chase」は、ニュース出版が全米の日系人コミュニティーで重要な役割を果たし続けきた理由を探求している。

プロ野球の巨人で活躍した日系2世のウォーリー与那嶺。写真は1951年の日本シリーズ第1戦

 コール・コヤナギとブレット・コダマの共同監督作品「Paper Chase:Vernacular Newspapers(新聞の探求―日本語新聞の報道カメラのレンズを通して見る日系米国人の歴史)」は10月16日(土)午前11時と午後2時の2回、全米日系人博物館(JANM)のタテウチ・デモクラシーフォーラムで初上映され、上映後にはパネルディスカッションが行われる。入場は無料だが、予約登録が必要。座席数には限りがある。
 作品は、まれで貴重な映像と写真を使って過去の重要な事件や人々を振り返りながら、150年にわたる日本人移民の歴史を、鑑賞者に訴える。
 1981年の映像では、日系人強制収容者のリドレス運動を支持した故スパーク・マツナガ上院議員と故ミン・ヤスイ弁護士が、感情的な証言を行っている。また、1906年ごろのハワイ在住一世の日常生活や、1935年の二世週祭に参加した、映画スターのチャーリー・チャップリンほか、リサーチャーは多くの映像を発見した。
 初期の移民は、米国に到着すると、さまざまな方向に分散した。農業で働いた人々もいれば、鉄道建設で雇われた人々、自営業を起こした人々もいた。移民がハワイ、ワシントン、オレゴン、カリフォルニア、ニューヨーク、カナダ、南アメリカに定住するにつれて、日本語新聞はほとんど全ての地域で発行されるようになった。

羅府新報で編集長を務めた当時を振り返るクリス・コマイ氏

 海を渡った日本人新移民のために発行された最初の日本語新聞は1895年にハワイで創刊されたヤマト新聞。その後、他紙も続々と発行された。99年に北カリフォルニアで日米新聞が創刊。1902年には現在のノース・アメリカン・ポストの前身である北米時事が、出版を開始した。03年に創刊された羅府新報は、日系人コミュニティーで最古で最大の日刊紙として現在でも発行を続けている。
 作中、インタビューでは以下の各氏が登場する。マイケル・コマイ(羅府新報発行人)、グエン・ムラナカ(羅府新報シニアエディター)、ケンジ・タグマ(日米タイムズ発行人兼編集者)、ロブ・ブッシャー(パシフィックシチズン理事、フィラデルフィア大学非常勤教授)、クリス・コマイ(コンサルタント、元羅府新報編集長)、ジョージ・ジョンストン(パシフィックシチズン・シニアエディター、デジタルソーシャルメディア部)、高濱賛(日本人ベテランジャーナリスト、太平洋研究所所長)、マーク・ナカキハラ(ゼントク財団会長)。

 JANMとの提携により初上映されるドキュメンタリー「Paper Chase」は、プロデューサーにステイシー・ヨシナガ、執筆にエレン・エンドウ、ナレーションにヘレン・オオタ。また、アラタニCAREアワードプログラム、UCLAアジア系米国人研究センターから資金支援を提供された。
 入場予約のためのメールは下記まで―
 paperchase@zentokufoundation.org

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