初めてロサンゼルスを訪れた時にバスに乗りました。サンセット通りあたりだったか、バスを降りたい時にはどうするのかと他の乗客を見ていると、何か車内に張り巡らされてあるロープのようなものを引っ張っている。どんな仕組みかと、目を疑いました。どうやらロープを引っ張ると、音が鳴って運転手まで届くらしい。
 すでに日本のバスには降車ボタンがあった頃なので、その一見アナログなシステムと不思議な音に笑いが止まらなかったのを思い出します。ただロープを引くという作業が、降りたいという意志を運転手に伝える。自分の目的を伝えることが、いかに大切な行為なのかを、実感させられた出来事でした。
 大学生の時だったか、今日はハロウィーンだからと、外国籍の友人数人が山手線に乗ると言う。どこにも行かない。ただ乗るのだと言って、お酒を携えて乗り込みました。その後、山手線での飲酒騒ぎは社会問題にもなりました。彼らの目的は目的地に行くことではなく、ただ乗車することや景色を楽しむことだったのでしょう。もちろん、観光列車など目的地を必要としない乗り物も、時間を楽しむという目的があるのだと思います。
 しかしながら通常バスや列車に乗るということは、目的地に行こうとする行為です。バスの正面や側面には、行き先が書いてあります。誰もがその行き先を見て、バスに乗り込みます。目的地にたどり着けるのかは、間違えずに乗り換えができたり、事故なく行けるかどうかになります。それでも私たちは、どこに行くか分からない行き先の書かれていないバスに乗りこむことはありません。
 でも考えてみると、自分の人生というバスには行き先が書いてあるでしょうか。あなたという乗り物には、ゴールが書かれているでしょうか。行き先がない乗り物に乗るということは、ゴールのない人生を進むのと同じことです。そして自分が行き先を示さない限り、そのバスに一緒に乗り込む人もいないのです。自分の行き先を決めて、表示し、その意志を伝えること。しているようで、できていなかったかもしれません。(朝倉巨瑞)

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