私の誕生日の1日前が、野本一平さんが現世から旅立った日でした。野本さんとの不思議な縁のことは、この紙面でも何度か書きましたが、実際には亡くなったことを報道や電話で知るだけであり、葬儀やメモリアルでもなければ本当のことなのか実感はありませんでした。人は、故人をしのぶセレモニーがあるからこそ、悲しみを共有して、記憶に刻み込めるのかもしれません。
 その追悼の納骨式が、亡くなってから1年と5カ月を経て執り行われることになったため、小東京の西本願寺別院へ出席をしてきました。以前送られてきた新年の手紙の写真で見たご家族一同が、参加されていました。多くの参列者のお顔を拝見すると、その言葉や文章によって魅了された方も多かったのだと感じ、野本さんが多くの方々に愛されていたことが分かりました。
 開始前にお会いしたお寺の方は、ご家族は野本さんが長年輪番を務めたフレズスノ別院ではなく、最初に開教師として務められた小東京での納骨を選ばれたことを話してくれました。そして、祭壇に飾られた法名が書かれている位牌(いはい)を指さしました。
 そこには、「文証院釋恵三」と書かれていました。それを見て、文章に生きた野本さんの人生を映すような名前だと感じました。恵三は野本さんの本名です。 釋(しゃく)にはお釈迦様の弟子という意味があり、法名に付けることで、お釈迦様の弟子になったということを意味するそうです。なるほど。野本さんはお釈迦様の弟子になってしまわれたのかと思いながら、香炉に線香を供えました。
 参列の受付で、野本さんが羅府新報で連載していた「詩片断想」という詩を紹介し解説した本を頂きました。その本の最終回では、「生きられるのは いい気になってみればのこと いい気にならずに 生きられようか」という田内静三氏の詩を紹介しています。解説には、「ここにはやっぱり一つのさとりみたいな重いものがある。私自身、いい気になってこれを書いてきたのである。嗚呼。」と締めくくってこの連載を終えています。「嗚呼」という感慨深いため息のような声が、聞こえたような気がしました。(朝倉巨瑞)

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