ありがたいのか迷惑なのかまた新年を迎え、めでたく(?)一つ年を重ねた。
 年明けに慌てないように仕事を済ませ、帰宅すれば買い物や掃除、日本にいるようなわけにはゆかないがひと通りお節もどきを作り、新年を迎える準備に追われてきた60歳、70歳、いやほんの数年前までの、年末年始のあの慌ただしさは一体何だったのだろう。
 正月が来る、新年が来る、人間が決めた人の世の区切りは、いつも否応なしに向こうからやって来るもので、こちらから迎えに行って連れてくるものではなく、ましてやその訪問を断るわけにもゆかない。
 加齢で体力が落ちたことは別としても、家族がそれぞれ独立して家を離れ、人生の相方に先立たれ、独り住まいになったことで、自分なりに守ってきた日本の習わしが、あちらこちら緩んできている。
 かてて加えて年末の骨折で、言い訳じみてはいるが「御免被る」の手形をもらったような気持ちで、大っぴらに「何にもしないお正月」を決め込んだ。
 正月にクリスマスほど重点を置かないこの国に住んでいることで、気が楽ではあったが、母が生きていたら何と言うだろう。
 それでもお正月はやって来たのである。せっかく来てくれたのだから、頂き物のお餅でお雑煮らしきものをつくり、思い出して玄関にかけたままのクリスマスの飾りを外し、手作りの注連縄(しめなわ)にかけ替えた。
「まあこれでいいか」
 自己満足の新年の祝い方で亡母には許してもらうことにした。
 うまくゆけば後1カ月と少しで重いキャストを外すこともできるだろう。
 なんといっても高齢者だから、うまく骨がつながってくれるよう、食べ物でカルシウムや良質のたんぱく質を取る努力をしている。
 「一年の計」「今年の抱負」。語尾に疑問符が付く言葉だが、使えなかった左腕の存在に感謝し、単独で頑張った右腕にも感謝し、世話をかけた息子や娘、職場の仲間、友人に感謝し、キャストが外れた暁には、しっかりリハビリに励み、お節料理は時季外れだが、骨折り損にならないように気を付けながら、せめて大掃除だけはしたいものだ。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。(川口加代子)

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