【アサクラ ユウマ】 「最後までやりきりなさいね」と、お母さんは小学生の私に言いました。それは、マッチのような木辺を接着剤で丁寧に組み合わせていく立体工作だったので、幼い私には手に負えないものでした。製作途中で難しいことに気が付いて、数カ月もの間そのままになっていたのでした。お母さんの言葉は、叱るではなく、ほほ笑むでもなく、手伝おうとするわけでもなく、あなたの行動を応援しているというような、心の奥に突き刺さるような言葉でした。不意に言われた言葉に動揺をしながらも、私は、数カ月後に工作を完成させたのでした。それが、人見知りで、言葉の少なかった私が、何かをやり遂げた最初の思い出です。
戦後、子どもが労働力であった時代に生まれたお母さんは、学校に行くことも許されずに、結婚後に仕事をしながら、年の離れた同級生の通う夜間学校に通いました。それも私を、抱っこひもで抱えながらの登校でした。その後、車の大型免許や二種免許まで取得しました。お母さんは仕事のために学校に通ったり、免許を取得したわけではなく、子どもたちにやり遂げるということを手本として見せたかったのかもしれません。エンディングノートには、「生まれ変わったら、小学校から学びたい」と書いてあったのです。
亡くなったお母さんが持ち歩いたカバンの中には、1冊の本が入っていました。『親は子のために死ぬべし』(三浦朱門著)という本でした。私を産んだという奇跡。お母さんが死んで自分が生きている。お母さんの魂は私に交換されて、引き継がれた。お父さんが亡くなった時にも感じることがなかった衝撃的な感覚でした。まさしくお母さんは、本のタイトル通りに自分の人生を終えることになったのです。それを汲み取ると、心が震えるような悲しみが湧いてきました。
死ぬということには何の意味があるのでしょうか。「生きていることの反対が死ではなく、生の中に死があるのだ。生も死も自然の営みであり、つながっているものなのだ」という誰かの言葉を思い出しました。見事だったお母さんの生きざまに、手を合わせました。(アサクラユウマ)
