あれからもう38年がたつ。その日、私たち夫婦は渡米後4年目の夏を迎え、カナダのバンフで人並みにサマーバケーションを過ごしていた。ロッキー山脈の一部だがかなり北で高所でもあり、多くの観光客でにぎわっていた。町に日本人客が多い店があり、立ち寄ると大橋巨泉さんのお土産店だった。皆がテレビに吸い付けられているので見ると、JALのジャンボ機が日本時間8月12日の午後6時過ぎに山梨の御巣鷹山に墜落炎上して乗員・乗客520人が死亡したという。日本では最大の航空機事故だった。
後年、当時の旅客部門の責任者を務めていたというX氏の話を聞いた。当日は業界の大切な会議があり、会長も社長も社内にはいなかった。羽田発大阪行きのB747型機が離陸12分後、高度7200メートル辺りで後部隔壁の破壊とそれに伴う垂直尾翼構造の破壊により姿勢制御不能となったとの連絡が入った。X氏は迷いに迷った。会社首脳はホテルで業界の大切な会議中、知らせるべきかもう少し様子を見るべきか? 結局「機体が消えた」の情報が入り首脳に報告した。
それ以前にまずX氏がしたことは、報道陣や搭乗者家族たちが駆け付けるので、数多くの部屋と電話回線の確保だった。結果として32分間の機体立て直し(尾翼機能が効かずダッチロール)を経て御巣鷹山に墜落激突。乗員乗客524人中死亡者520人・生存者4人の大惨事となった。通常は葬儀屋にも予備の棺おけは常備されてないので、全国に手配をしてやっと確保した。
後に発表された事故報告書によると、同機は1978年6月に大阪空港で「尻もち事故」を起こして機体後部を破損。その時の修理(ボーイング社)が不適切でフライトのたびに特定部分に圧力がかかり、隔壁破壊につながった、とされている。私の手元には、墜落に気付きカメラ片手に一番に御巣鷹山に直登、消防隊も警察も到着する前に現場の生々しい写真を撮った大型の写真集がある。
以来、日航職員は新入社員研修から慰霊登山を欠かさず、事故防止を固く誓っているのだという。今年38年目にしてこのニュースは大きく報道された。当時を思い出すと感無量である。合掌(若尾龍彦)
