【長島幸和】 ドジャー球場にドジャースの試合を見に行った。手術後の私を励まそうと、友人らが連れて行ってくれたのだ。球場を訪れるのは約20年ぶり。レフトスタンド側の2階席に腰掛け、試合が始まるまでの間、芝に見とれながら、かつてドジャースに熱を上げていた時のことを思い出していた。
 当時、オレル・ハーシャイザー、マイク・ソーシア、ロン・セイなどが活躍していた。1988年のワールドシリーズの第1戦で足の故障を押して9回裏に代打に立ったカーク・ギブソンが逆転サヨナラ2点本塁打を放ち、足を引きずりながらガッツポーズをして塁を回る姿も脳裏に焼き付いている。
 その10年ほど前、私は渡米後間もなく交通事故に遭い大けがをしたが、療養しながら野球やバスケットボールの試合をもっぱらテレビで楽しんでいた。ビン・スカリーやチック・ハーンの実況放送を、全て理解できないながらも懸命に聞いていた。そうしながら、少しずつこの国を受け入れていたのだと思う。その後、米国の永住権も取得して、異国暮らしが徐々に安定していった。
 そのころ「日系福祉権擁護会」の中にあった「新一世の会」に参加し、時には、日系移民史における自分たちの位置について考えたりもしていたのだが、その際、当時日本から来た人たちを「新一世」と呼び、その一部の人たちを「社会難民」と捉える見方があるのを知った。さまざまな理由で生きるのが難しい状況から逃れ、異国の風を求めて渡米した人たち。自分もそんな1人なのだろうなと思いながら、見慣れぬ街を歩き、時にはドジャー球場に足を運んだりしていた。
 あれから40年。あの時の人たちの多くが日本に帰って行った。一方、バブル経済期と「失われた30年」の間に、新しい人たちが日本からやって来た。ドジャースはその間、野茂を迎え、今は大谷と山本を抱え、大勢の日本人が球場に詰めかける。ふと「また野球に夢中になるのは難しいかな」という思いが胸をかすめた。しかし、大谷がホームランを打つと、手術の傷の痛みも忘れて立ち上がり、友人とハイファイブしてはしゃいでいるのだった。(長島幸和)

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