この夏、日本は多くの外国人観光客でにぎわっていた。しかし176年前、鎖国中の日本への入国は命懸けの冒険だった。
 ラナルド・マクドナルドは1824年、チヌーク族酋長の娘を母に、英交易会社ハドソン湾会社勤務のスコットランド人を父に、フォートジョージ(現オレゴン州アストリア)で生まれた。24歳のマクドナルドは、日本人漂着者の話を伝え聞いて日本に興味を持ち、捕鯨船に乗り込んで北海道沖へ。報酬代わりに得たボートに1人乗り移り、漂着を装って利尻島に上陸。移送先の長崎では、日本人のオランダ語通詞たちに英語を教え、「初めての(ネイティブ)英語教師」となった。教え子の1人である森山栄之助は後に、激動の幕末期の対外交渉通訳の大任を担う。他の米人漂着者と共に迎えの米国船で長崎を出るまでの1年足らずの滞日だったが、残したものは大きい。
 マクドナルドの命懸けの冒険に胸揺さぶられた人は少なくない。作家の吉村昭さんは、資料を駆使して「海の祭礼」(86年)でマクドナルドを世に紹介。88年には、オレゴンにマクドナルド友の会が誕生した。滞日経験のあるアストリア図書館館長のブルース・バーニーさんの上げた熱い声に、ポートランド日本人商工会理事だった冨田正勝さんが強く共鳴。冨田さんを会長、バーニーさんとオレゴン大学のスティーブン・コール教授を副会長に会が発足した。以来、マクドナルドを世に知らせる活動と共に、利尻の若者訪米プログラム受け入れなどを担ってきた。
 先月23日、マクドナルドが幼少期を過ごしたフォートバンクーバー国立史跡公園に吉岡雄三在ポートランド総領事をゲストに日本からの参加者も交えて会員が集い、マクドナルド生誕200年が祝われた。初代会長の冨田さんも副会長のバーニーさんも既に亡く、冨田さんに後を託された谷田部勝さんが4代目会長を務めている。生誕200年を前に、2019年にはコール名誉教授による「海の祭礼」英訳版がクラツアップ郡歴史協会から出版された。日本では今春、念願のマクドナルド記念切手を発行することができた。これからもマクドナルドの冒険と功績を知らせる努力が続く。(楠瀬明子)

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