イートン火災で大きな被害を受けたアルタデナを訪れた。知り合いの日系女性の家屋が全焼したので、現場を見ておきたいと思ったのだ。着の身着のままの避難だったという。長年慣れ親しんだ物はほぼ全て焼失、飼っていた猫もどうなったか分からない。
現場は完全にがれきと化していた。寒さが残る曇り空の下、一面に散らばっている焼け砕かれた家具のくぎなどに気を付けながら、家が立っていた一帯を歩く。転がっているコーヒーカップは黒く焼けている。キャビネットは中の書類まで黒焦げだ。人生を記憶するものを全て失った女性の気持ちを想像する。やるせない気持ちが胸を突く。
車で周辺の地域をドライブする。焼け落ちた家のすぐ隣の家がほとんど無傷の状態で立っている。その家の住民にしても、心の置き所がないのではないかと思う。
アパートに戻ると、日本のテレビでは東日本大震災を扱った番組を放送していた。障害のある子どもが、震災で避難した後に入水自殺した話。震災で妹を失った女性が自身を投影した映画を作った話。胸が苦しくなる。
私は思い出したように、震災4年後に編まれた句集「東日本大震災を詠む」を再び開いた。盛られているのは日本全国各地の1142人による2667句。犠牲者に寄り添おうとする自らの心の声に耳を傾けることで得た句の数々が並ぶ。その一句一句が、当初読んだ時よりも一段と私の胸に染みる。
避難所に回る爪切夕雲雀(2011年春)
三・一一・南無阿弥陀仏・何無阿弥陀(2013年春)
震災後間もなく得度し、毎年被災地を訪れてボランティア活動に携わっていた友人のことも思い返した。「傾聴に取り組む宗教者の会」の立ち上げに尽力した一人だった。
アルタデナの家を焼失した女性は現在借り住まいをしているが、高齢にもかかわらず元の場所にまた家を建てたいと話していると聞いた。私は彼女の家の焼け跡を訪れた時、焼け崩れた大きな鉢に残された土から、楓が小さな芽を出しているのに気付いたことを思い出した。
焼け跡に夢のありけり楓の芽
全てを失った女性にとって、楓の成長がささやかな癒やしになればと思っている。(長島幸和)
