子どもの頃、住んでいた千葉から巨人の試合を見に、よく後楽園球場に行った。大の野球ファンであった父親が、私たち兄弟を連れて行ってくれたのだ。
 かつて陸上で鳴らしていた父親が本格的に野球をプレーするようになったのは、転勤で千葉から群馬に越して会社の野球部に入り、他の会社と試合をするようになってからだった。長嶋が巨人に入団、そのプレーで多くの日本人を魅了し、プロ野球を多くの人たちにとって魅力あるものにしていったのが、ちょうどその頃だった。父親に連れられて試合をしばしば見に行った私たち兄弟も、ごく自然に近所の子どもたちと野球をするようになり、テレビが家に入ってからは、プロ野球を見るのが当たり前になっていった。
 プロスポーツが野球しかなかった時代だ。長嶋の影響で、数多くの日本人が野球をするようになり、数多くの日本人が長嶋の一挙手一投足に手に汗握るようになっていった。
 今、大谷翔平選手が敵味方を越えて、全米の野球ファンを沸かせている。海を越えて、日本全国のプロ野球ファンを沸かせてもいる。かつての長嶋の姿をそこに見るような気がする。
 しかし、大きな違いもある。時代的な背景である。長嶋が活躍し出したのは日本が高度成長期に差しかかった時期だった。長嶋はその国民的な心理を支え、それを促進させもした。私たち兄弟も野球をすることで、自分もその成長にあずかっているような心理状態に浸っていたのだと思う。ヘルメットを飛ばして三振しても、ここという時にヒットを打ってくれる長嶋。
 長嶋が亡くなった日、今では全日本大学準硬式野球連盟の仕事をしている弟が「ナガシマという自分の名前が何か特別なものだと思っていた」とラインしてきた。中学、高校、大学と野球部のキャプテンや監督を務め、今も野球に関わる人生を歩んでいる弟だが、その日、私はふと、彼の心の中で長嶋茂雄の時代がずっと続いていたんだな、と思った。私はと言えば、その日から毎日テレビやユーチューブで長嶋を見続け、長嶋と過ごしていた時代を確かめている。(長島幸和)

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  1. 長島さん、お元気なご様子をnhkの新日本紀行で拝見しました。10年くらい前になりますか。お世話になりました、小笠原です。帰米二世の話をお聞かせいただいたと思います。両親を在宅で看取り、50年余り暮らした家を処分して引っ越しまして、2年になります。先日、渡米しましたが、ロスには行かず。またお話しできたら、ありがたいです。写真展を夏に開催します。