言うまでもなくハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンの古典的名作だ。第2次世界大戦中の1943(昭和18)年1月23日全米公開、日本は数年遅れで戦後の46年に公開。一種のプロパガンダ映画ともいわれる。世界情勢に合わせて、連合軍による仏領北アフリカ(モロッコとアルジェリア)での「トーチ(上陸)作戦」、そして 米国のF・ルーズベルト大統領と英国のW・チャーチル首相が43年1月14~23 日に開催した「カサブランカ会談」の時期に合わせて公開されたのだ。
撮影開始は42年5月25日。太平洋戦争は既に勃発し、常勝日本軍は42年6月のミッドウェー海戦で敗北を喫し以降、米軍が攻勢に転じた。ヨーロッパでは、41年6月~12月にドイツがソビエト連邦に侵攻するが、反撃に遭い12月に撤退し、徐々に劣勢になる。ドイツ・イタリアの枢軸国はすでに不利な戦況になっており、まだ戦争が終結していない映画公開時には、米国をリーダーに連合軍は負ける気はなかった勢いだったとある。
とはいっても興味あるのは、もっと前の脚本執筆中に、映画の話自体が、やがて悪の枢軸国のドイツが負け、正義の米連合軍は勝つ、との結果を予測したあらすじに設定されていることだ。撮影中も脚本は書き続けたといわれているが、ドイツが絶対に負けるという100%の保証はない。敗北宣言もしていない。万が一、公開後に戦況が急変する恐れはあった。それ故、大いにリスクのある大胆な内容だったのだ。
米国民の90%以上が戦争介入に反対の徹底した孤立主義政策を取っていたが、真珠湾攻撃後、日本に対する宣戦布告は91%が賛成し、一気に介入主義へ急変した。
39年の米軍兵力は18万人ほどで、当時の中堅国ルーマニアより低いレベルにとどまっていたのが、わずか数年のうちに兵力を1200万人以上まで増強し、世界一の軍事超大国に急成長した底力が驚きである。
ちなみに映画の撮影は、1シーンもカサブランカでは撮影しておらず、ほぼ全てバーバンク市のワーナー・ブラザーズのスタジオで敢行した。(長土居政史)
