
レドンドビーチ市は9月28日、かつて同市に暮らしたトモ・イトウさんとキミ(キミコ)さん夫妻を顕彰するとともに、第2次世界大戦中に日系人が強制収容された歴史を後世に伝えるために、新たに作られた3枚の歴史解説板の除幕式を行った。解説板はフラグラー・レーンとリプリー街の角にある「イトウファミリー・オープンスペース」と名付けられた公園に設置されれた。同所は2021年に当時のビル・ブランド市長や市議会などによってイトウ家にちなんで改称された小公園で、整備計画が進められていた。
除幕式には、ジム・ライト市長、ブラッド・ウォーラー市長代行、チャドウィック・キャッスル、ペイジ・カルデロビック、スコット・ベーレントの各市議が出席した。また、トーレンス市から出席したアサム・シェイク市議は、同市が計画している第2次世界大戦中の日系人収容の歴史を伝える記念壁について説明した。また、ベン・アレン州上院議員の地域担当者であるリサ・アキヤマ・ロビンソンさんも出席した。
ライト市長は声明で「イトウ夫妻がレドンドビーチに居を構えたのは、ルーズベルト大統領が発令した大統領令『9066号』によって強制移住させられるわずか数日前だった」と説明した。2人はアリゾナ州のポストン収容所に送られた。一緒にいられるよう収容所内の仕事に志願し、後から到着する人々を迎える準備にも携わったという。
収容所から解放された後、夫妻はレドンドビーチに戻り地域社会に貢献した。ライト市長は「米国のような偉大な民主主義国家であっても過ちを犯すことがある。こうした歴史を隠さず、後世の人々が過去から学び同じ過ちを繰り返さないよう伝えていくことが重要だ」と述べた。
式典には、キミさんとトモさんの娘、ヘレン・オルブライトさんとテリ・イトウ・アボットさんが家族を代表して出席。市による顕彰に感謝を伝えた。ライト市長は「あなた方のご両親が受けた不当な仕打ちを取り消すことはできないが、苦難を乗り越えた歴史を記憶にとどめその功績と困難に立ち向かう強さをたたえることはできる」と語った。
解説板が語る歴史
3枚の解説板のうち、1枚目は忍耐、強制的な移住、そして地域社会との変わらぬ絆という米国史の重要な一章を映し出したイトウ家の歩みを紹介している。1905年に広島から米国に移住したタカオ・サカイさんとベラ・ウメ・サカイさん夫婦は18年にレドンドビーチに移り住んだ。長女のキミさんは14年にロサンゼルスで生まれ、31年にレドンド・ユニオン高を卒業。42年4月5日、スタンフォード大で学んだ地質学者で治金(やきん)技術者(金属の精練などを行う専門家)のトモ・イトウさんと結婚した。

その後間もなく、2人は大統領令「9066号」に基づいて自宅から強制退去させられ、ポストン収容所に送られた。キミさんは歯科助手、トモさんは居住区の管理責任者として働いた。キミさんの両親も拘束され、ツナキャニオン拘留所を経てマンザナー収容所に移送されたという。その後ポストンを離れた夫妻はソルトレークシティーに移り2人の娘をもうけた。そして47年には、イトウ家とサカイ家がともにレドンドビーチに戻った。
トモさんは71年にパーキンソン病と診断され、キミさんが長年介護を続けた。トモさんが86年に逝去した後、キミさんはパーキンソン患者支援グループを設立し、90代になっても代表を務めた。キミさんは2017年に亡くなっている。

「日系人の強制収容」と題された2枚目は、真珠湾攻撃後の恐怖と人種的偏見が不正義を招いた経緯を解説。1942年2月日に発令された大統領令により、西海岸に暮らしていた約12万人の日系人が自宅から強制退去させられたが、その3分の2以上は米国生まれの市民だったと説明している。写真には、サンタアニータ集合センターで登録を待つ収容者と生活の場として使われた馬小屋が写っている。
3枚目の解説板は「大統領令9066号」と題され、日系人が家や事業を手放すことを強いられ、その多くが財産を失った一方で、収容所から米軍に志願した若い日系人男性たちが戦闘で功績を挙げた歴史を伝えている。日系人のみで編成された第442連隊戦闘団は、部隊の規模と従軍期間を考慮すると米軍史上最も多くの勲章を受けた部隊となったことが記されている。
解説板の設置には、市公共施設委員会のロン・マロコ氏、レドンドビーチ歴史協会のリンダ・オースト氏、サウスベイ・パークランド・コンサーバンシーのマラ・ラング氏らも協力した。(JKヤマモト、写真も)
