
真っ白だったボートが、時間とともに青く染まっていく。壁にも床にも、そして船体にも、来場者が書き込んだ言葉や絵が重なり、やがて部屋全体が無数のメッセージで覆われる。ロサンゼルスの現代美術館ザ・ブロードで開催中の「Yoko Ono: Music of the Mind(オノ・ヨーコ ミュージック・オブ・ザ・マインド)」を象徴する作品の一つ、Add Colour (Refugee Boat)だ。(長井智子)

展示が始まったころには白かった空間が、来場者の参加によって日々姿を変えていく。ここには、70年以上にわたるオノの芸術を貫いてきた考え方が凝縮されている。芸術家が完成した作品を提示し、観客がそれを眺めるのではない。芸術家は「指示」やきっかけを与え、観客が考え、行動することで作品が生まれる。時には作品そのものが観客の頭の中だけに存在する。
今回の展覧会は、南カリフォルニアでは初となるオノの美術館での個展で、1950年代から現在まで70年以上に及ぶ活動をたどった。ブロードによれば、その中心にあるのは、アート、言葉、そして「参加」に対するオノの革新的なアプローチだ。
前衛芸術家として活動
レノンと出会う前から
オノ・ヨーコという名前には、今なお「ジョン・レノンの妻」というイメージがつきまとう。しかし今回の展示を年代順に見ていくと、そのイメージがいかに彼女の芸術家としての歩みの一部しか捉えていないかが分かる。

33年東京生まれ。戦時中、疎開先で食べ物が乏しかった時、弟と空を見上げ、想像の中で食べ物を思い浮かべた経験を、後に自身の最初期の芸術体験の一つとして語っている。想像することによって現実を超える―その発想は、生涯の作品につながっていった。
戦後、哲学を学んだ後に渡米し、ニューヨークでは詩や作曲を学んだ。50年代から「インストラクション(指示)」による作品を制作し、60年にはマンハッタンのチェンバーズ・ストリートにロフトを借り、作曲家ラ・モンテ・ヤングらと実験的なコンサートやイベントを開催。翌61年にはニューヨークで初個展を開いている。その芸術は当時としても大胆だった。
代表作Cut Pieceでは、舞台に座ったオノが観客にハサミを渡し、自分の衣服を一片ずつ切り取らせた。64年に京都で初演されたこの作品では、作者は作品を一方的に「見せる」存在ではなく、観客自身が作品に介入し、その行動と判断、さらにはためらいや攻撃性までもが作品の一部となった。
同じ64年には、200を超える「指示」を収めたアーティストブック「Grapefruit」を出版した。文章による簡潔な指示を読み、それを実際に行うことも、頭の中で想像することもできる。つまり、作品を所有しなくても、誰もが作品の実現者になれるのである。
ジョン・レノンがオノと出会ったのは、その後の66年。ロンドンのインディカ・ギャラリーで開かれたオノの個展の内覧会だった。つまりレノンが出会ったのは、すでにニューヨーク、東京、ロンドンを舞台に、既成の「美術」の枠を揺さぶる活動を続けていた前衛芸術家だったのだ。
表現の舞台を世界規模へ
新婚旅行で平和訴えも
レノンとの出会いは、オノの芸術を終わらせるものではなく、その表現の舞台を世界規模へ広げた。
2人は結婚した69年にアムステルダムとモントリオールで「Bed―In for Peace」を行った。新婚旅行という世界のメディアが注目する出来事そのものを、反戦と平和を訴える場へ変えたのである。さらに「WAR IS OVER! IF YOU WANT IT」のメッセージを、ロサンゼルスを含む世界各都市の看板、ポスター、新聞、ラジオなどを通じて発信した。
ここにも、それ以前のオノの作品と同じ構造がある。「平和」を命じるのではなく、「あなたが望むなら」と見る者に選択を委ねる。観客を受け手ではなく、作品、さらには社会を変える主体として扱う姿勢である。
そしてレノンの死後も、その創作思想は途切れなかった。
2001年の「Helmets(Pieces of Sky)」では、第2次世界大戦時のドイツ軍のヘルメットに青空の写真を印刷したジグソーパズルのピースを入れ、来場者が一つずつ持ち帰る。作品は人々の手に分散していくが、それによって一人一人が大きな世界の一部であることを問いかける。
白い船を青く染める人々
言葉や絵、無数の線で表現
そして今回の展示で、その思想を最も直接的に体験できる作品の一つが「Add Colour (Refugee Boat)」だ。

白いボートと白い壁、白い床から始まった空間に、来場者は青いマーカーで言葉や絵を残していく。日を追うごとに一つ一つの痕跡が重なり、白かった船はほとんど見えなくなるほど青く覆われていく。ここでも他の作品と同じく、作者が全てを決めるのではなく、参加する人々に作品の行方を託している。
だから、展示開始時と現在の写真を並べると面白い。同じ作品なのに、同じ作品ではない。何千人もの知らない人が、それぞれの思いや言葉を加えることで作品は変わり続ける。そして、そこに参加した一人一人にも、その変化に対する小さな責任が生まれる。
今回の展示を紹介したブロードは、オノの芸術について、観客に行動する力を与えると同時に「責任」も与えるものだと説明する。そして、世界のトラウマや憎悪を直視しながら、それを受け入れることを拒む「楽観主義」を、その創作の根幹として挙げている。
レノンと出会う前も、共に活動した時代も、そしてその死後も、オノが問い続けてきたものは驚くほど一貫している。
想像すること。参加すること。そして、一人一人の小さな行為によって世界は変えられると信じることだ。
白かった船を青く染めた無数の線は、その思想が今も観客によって引き継がれていることを、何より雄弁に物語っていた。
