朝起きる。顔を洗う。コーヒーを淹(い)れる。いつの間にか、体に染み付いた「儀式」だ。カリフォルニア大学リバーサイド校のトーマス・クレイマー教授によれば、コーヒーを淹れるという「儀式」は寂しさを和らげ、生(ライフ)にインパクトを与えるという。 傘寿を迎えた東京の知人がズーム対話でこうつぶやいていた。<!–more–> 「寂しさから逃れるには、同好の士と会ったり、ボランティア活動に参加するのがいい、というが、みな違う人生を歩んできたのだから共通の話題には限りがある。家に帰ると、寂しさが待っている」 日本のメディアに盛んに出てくるのが「断捨離」という言葉だ。モノへの執着心を捨て、併せて精神面での不用品を捨て去る。そうすればストレスは解消され、平常心を取り戻せるという禅の真理だ。 手術後、病院のベッドで10日ほど過ごした。いや応なしに「断捨離」の状況に置かれた。 時々、体が軽くなる瞬間があった。自分の「存在」の軽さに気付いた。「存在」が軽くなれば、ちょうどロウソクの灯が消えるように旅立てるのかな、という思いが脳裏をかすめた。 サンフランシスコ生まれの宗教学者、山折哲雄さん(90)が最近、インタビューで、こう述べている。 「モノを捨てたからといって身軽になれるというわけではない。物心両面の身軽さこそが真の軽さです。身に付けてきた知識、哲学、信仰さえも荷物だ。全てを捨てて、空っぽになれば、どんなに軽く、楽になることか」 「以前は座禅をやっていた。今は毎日、1時間ほど歩いている。食べすぎない、飲みすぎない、人に会いすぎない。あるがままを受け入れ、身も心も軽やかに旅立ちたいですからね」 「無我の境地」で逍遥(しょうよう)する。その「儀式」が「自分の存在」を軽くしてくれる、寂しさを和らげてくれるということなのか。話の続きをお聞きしてみたい。【高濱 賛】磁針
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