先月の当欄で私が東京の地下鉄駅で倒れ、周囲の人々の温かい思いやりの心に助けられた感動を書いたが、今回は逆のことを書かねばならない。
東京の鉄道の車両には「優先席」という座席が設けられている。この席は、お年寄り、妊婦、身障者などの人たちのための席であり、車内放送でも常に乗客の協力を呼びかけている。私はすでに古希を過ぎて数年たつが、これまでこの「優先席」を利用したことがなかった。こんなものにお世話になるほど弱っちゃいないんだ、という妙なプライドがあったからだ。
以前、「優先席」が空いていたにもかかわらず、一般の吊革につかまっていたら、目の前に座っていた若い人に「どうぞ」と席を譲られ、感謝しながらも「ああ、私も年寄り扱いされる歳になったのか」と妙に寂しさを感じたことがあった。それでも「優先席」は私にとっては無縁の存在であり、意地でも座るものか、と抵抗していたのだ。
ところが、前回書いた私の「地下鉄ホーム昏倒事件」により、この意地を捨てざるをえなくなった。私も甘んじてこの席を利用させていただくことにした。
これまで「優先席」自体に無関心だったので気がつかなかったが、この席に悠然と坐っている若者、健常者のなんと多いことか。また、この席と周囲では携帯の使用を控えることになっているのだが、これまた、みな平気でメールの受発信をしている。これでは何のための「優先席」なのだろうか。
いまどきの家庭では子どもたちにどんな躾(しつけ)をしているのだろう。もっとも電車内のマナーの悪さは子どもだけではなく、親の世代も決して誉められたものではない。
また建設中の「東京スカイツリー」を見に行った時、塔の進捗状況を見学に集まってくる人々のマナーも目に余るものだった。服装についてのコメントは差し控えるが、信号無視、通行の妨害、進入禁止区域への立ち入りなど、どう見ても「世界の観光地」へのマナーは準備不足だ。
日本の良さに感激したり、他方、マナーの悪さに愕然としたり、たった一週間の日本行きの旅だったが感じたことは盛だくさんだった。【河合将介】