同慈善イベントは、オレンジ郡在住の女性有志9人が企画しイベントを「Rainbow from LA
」(代表・藤田喜美子さん)と命名。有志のうち数人は震災後、藤田さんが経営する同音楽教室でコンサートを開いたり、新潟県民から寄付された着物を販売したりし、ユニセフや南加県人会協議会を通じて幾度も義援金を送ってきた。だが、震災で親を亡くした子どもたちが2000人以上いる現実を知ると、母性から「孤児を助けたい」。そして「何か形(施設の完成)に残ることを」と立ち上がった。趣旨に賛同した新たな有志が加わり、オレンジ郡日系協会など地元の有力団体も味方につけ規模を広げた。
参加、協力者すべてに感謝する藤田さんだが、その中で称賛したのは次代を担う若者の活躍で、明るい将来を見た。UCアーバイン、アーバイン・バレーカレッジ、チャップマン大から参加した、日本語を学ぶ生徒や日本クラブのメンバーたちだ。ご飯を炊いて牛丼を作ったり、お茶を沸かす姿に「生徒は日本人でないのに一生懸命頑張ってくれた」と感動した。中には540ドルを売り上げた大学もあったという。
出店者の中には、震災で甚大な被害が出た宮城、福島、岩手の南加3県人会がおり、これまでの支援に謝意を表しながらTシャツや地酒などの特産物の販売に努めた。被災地出身の各人が、この1年に対する複雑な胸中を口にした。
宮城の米澤義人会長は、LA七夕まつり他、さまざまなイベントに参加し支援を呼びかけ、県に13万ドルを超える義援金を送った。大事に貯めた小遣いから出した小学生や「3度の飯を1食に減らしても」という老人も寄付してくれ「ありがたかった」。震災の翌日には、ニュージャージー、ケンタッキー、テキサス、ワシントンの遠方からも協力の申し出があり、インターネットの情報の力を思い知った。
安良一美さんは、福島・相馬市出身で家族は皆無事だった。だが小学校教師をし、初めて担任をした教え子が津波で亡くなり辛い思いをした。「何も(支援)できない」無力感と、故郷を破壊された絶望感の中、県人会や個人のガレージセールなど復興支援イベントの活動に明け暮れた。「東北、日本人以外の人々に助けられ同じ『地球人なんだ』」と実感。「落ちるところまで落ちたけど、みんなに支えられ押し上げられた。この1年はとても早く感じた。人の優しさを知った1年だった」
被災から数日後。追い打ちをかけるような降雪を見て「涙が出た」と振り返るのは岩手・一関市出身の小野寺イクエさん。「電気も暖房もない。東北の寒さは、東北の人にしか分からない」と親身になって思いやった。そんな中で、自分にできることを見つめ直し「元気で支援活動に参加すること」と、笑顔を振りまき寄付を募った。将来は地元とLA、日米両国の懸け橋役となろうと、当地での物産展開催や、フェイスブックなどネット交流サイトを通じた地元の宣伝、FM岩手の放送を通じた町おこしなどを考えている。
藤田さんはイベントを終え、準備から出店、後片付けまで「たいへんだったけど、『素人集団』がとてもよくやってくれた」と称えた。「参加したみんなが同じ目的に向かって、同じ時間を過ごせたことがうれしい。同志が奉仕を通じて助け合い、日本人の持つ大切な結束につながったのも大きな収穫。しんどかったけど今は、達成感と爽快感をみんなが味わっている」
日米を虹の懸け橋で結ぶ有志9人は、今月19日に日米文化会館で開かれる、あしなが育英会の遺児のさよなら・激励会に参加する。「里子」に会うことを心待ちにしており席上、イベントで挙げた寄付金を直接手渡す。【永田潤、写真も】