昨年の3月11日、千年に一度、想定外、とこれ以上のものはないという形容詞がつく大規模の地震と津波が東北を襲った。
 東京の義兄から「実家は大丈夫か? 電話が通じない」と電話をもらって掛けてみたら、やはり通じない。知人から心配の電話をもらい、やきもきしながら通じるのを待った。
 3日後に「揺れは大きかったが、なんにもなかった。グラス一つ落ちなかった」と聞いて、何か力が抜けた。それから、何かしなければいられない気持ちに駆られて街頭募金に立った。
 実家や親戚は海岸から30キロ内陸にあった。叔父は沿岸に住んでいたが、被害を免れた。
 義妹の気仙沼に住む叔父もしばらく連絡が取れなくて心配したが、無事だった。あの大災害で、無事でいられたことはありがたかったが、あの状況下では単純に喜べない気持ちもあって複雑だった。
 あの震災で、いつもと変らない日常が続くと思っていたことが、あるとき突然なくなるということを思い知らされた。日常と歴史が消え失せる。それをどうやって受け入れられるだろう。どうにもやりきれない現場にいた人たちのことを思うと、言葉を尽くしても慰めにはならないやりきれなさを感じた。
 1年後の支援感謝イベント、追悼イベントで紹介された、被災地からの「ありがとう」メッセージには力強い笑顔があった。やさしい微笑みではない。その意味を思うと、言葉を探せなかった。
 何とか一歩踏み出そうと、テントを張っただけのお店を開いた人、みんなが待っていてくれるからと無理を押して開いた食堂やお店。考えたら不安だらけ。でも何かしようとする意思と力。「ありがとう」の笑顔はこんなことを伝えているのだと思った。
 被災した知人が避難した先で「友達もできたし、少しずつ良くなっているよ」と言ってきた。とてもうれしい気分になった。どんなときでも、目の前にあることに、ただ一生懸命に向きあって、取り組むしかないと思う。被災地だけではない。応援したいと思う側にもいえることだと思う。寄り添う思いを持って、今あることを大事にする。きっと意義ある行為につながると思う。【大石克子】

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